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メッセージ・コーナー
〜『僕とみづきとせつない宇宙』に関して



ゆっくりした静かな時間が欲しくなって,なぜだか久々に本屋さんへ寄って,綺麗な本だなって思って目を止めると,それが『みずき』でした。あ,平中さん,元気だったんだ・・・。みると,『15周年記念』。運命的な気持ちで買い求め,抱えて帰りましたよ。早く読まなくっちゃって。
自然にすんなり読めました。『She's Rain』とかと違って,字がたくさんだし,こーんな分厚いのにね。そうそう・・って共感するところがあまりに多くて,赤線とか引きたくなったりして(いつもはそんなことは勿論しません)。ホント,みんなに奨めてあげたい。でも,本屋では山積みしないで欲しい。ひっそり2冊くらいだけ,並んでいて欲しい。そんな気持ちになる宝物的な本です。ちなみに,新宿の紀伊国屋では新刊コーナーで山積みだったんですけど,私が買い求めた,青山ブックセンターという大書店では,買ったときは2冊だけ背表紙しか見えない形で縦に並んでいて,その1週間後の追跡調査では,既に1冊もおいてありませんでした。ホッとしたような,こんなんでいいんか?という気持ちが交錯してしまい・・。市場調査報告よりも,感想ですね・・。
ホントせつないです。嘘じゃなくて,大げさじゃなくて,ホントに泣いてしまいました。ボロボロ止まらない涙。一人暮らしだと,気がねなく泣けるのでよかったです。ちょっと,勝手に自分の終わった恋と重ねてしまったせいもあるかもしれません。なんでみづきの気持ちわからないわけ??って口出ししちゃいたくなったり,歯がゆい思いもちょこちょこあって。ちょっと違うぞと言われそうですが,ラフマニノフの2番を邪魔にならない微かな音量で聴きながら読んでました。
読み終わって,ひとしきり泣き終わったあとは,ちょっと虚脱してしまい,そのあと,爽快な読後感。嵐のあとの青空みたいな感じでしょうか。
この本に出会えてよかったです。あんなにこだわっていた辛い長い恋に悩まなくてすむようになっちゃって。気持ちよくって,ホント,魔法みたいな感じで。平中さんは,なんで,女の子の気持ちもこんな細やかにわかるんだろう?って不思議な感じになりました。もっとちゃんとこの思いを伝えたいのに,言葉がでてこなくてもどかしいのですが,ホント,この本はスゴイです。
ところで,私の名前はリカコです。このホームページをみたら,なんと,ゴーゴーガールズには,リカコさんが登場しているんですね。例の近所の大書店にはおいてありませんでしたので,ネット注文しました。なかなか連絡が来ないので心配ですが,とっても楽しみにしています。
これからも,ステキな作品をゆっくり待ってます。*2000.12.5*
Miss Rikaco O.(Favorite doll:みづき from『僕とみづきとせつない宇宙』)

読み終わって、せつなくってもう号泣、ひたすらしゃくりあげてゆうに30分は泣き続けてしまいました。ラストは寝る前のベットの中で読んだため、寝る前にどんなに水をのんでも腫れない私の目が翌朝にはボテっと腫れてしまうほどに、久しぶりにひたすら泣き続けてしまいました。 泣いている間、ずっと僕とみづきとの楽しく過ごした時間を思い起こし、『この二人はいつかきっと結ばれるはず』と確信していただけに、最後の別れに呆然となってしまい、一瞬頭の中が真っ白になってしまった程でした。でも、みづきは平中さんと同様、私にとっても一番好きなヒロインになりました。
『ゴーゴー』のリンちゃんも好きな人に向かっていくあのまっすぐさが好きだったけど、みづきの先回りして自分が傷つかないようにとつい強がってしまうところがすごく共感できました。そういうナイーブさってなかなか男の人には理解されないんじゃないかって思っていたのですが、平中さんにとても繊細に描いていただいてうれしかったです。みづきが段々と女の子っぽくなっていく様がけなげでなんとも言えず可愛いですね!
そして、最後の
“人生には、その時を逃したらもう二度といえないことばというものが驚くほどたくさんある。”
という文は私の心にずんっと重くのしかかってきました。言えなくなってしまって、そして言えなかったことで何度後悔したことか・・・。私は大人になっても相変わらずなかなか“その時”をうまく掴まえられないでいます。*2000.12.15*
by Miss noriko m. , our Club Member
(Favorite doll:みづき from『僕とみづきとせつない宇宙』)


新作、読みました。素敵な贈り物をありがとう、と言いたい気持ちです。
みづきはとても躍動感があってチャーミングで、私の中で実在の人物みたいに動いていました。だから、エンディングがあまりにあっけなく、「えっ、そんな…」って、受け容れたくないという思いになりました。だって、それまで、「今回はハッピーエンドだな、いいなあ」って幸せな気分に浸っていたから。最後まで読んで、もう1回読み返して、あらためて受け容れたという感じでした。読後にせつなさが、何度も波のように繰り返しやってくるのです。
私は、平中作品の情景描写が大好きですが、今回一番好きだったのは、僕が一人でドビュッシーを弾いているところに、みづきが帰ってきてからのところ。
黄昏色でみたされている部屋、くっきりとしたコントラスト、「やあらかなそのラインに…」その辺りの表現が美しくってとても好き。その前の、「ドビュッシーの音楽に合わせてすうっーっと宙に舞い…」のところも、とても素敵な表現で美しいなあって思いました。彼の音楽がきこえてくるように感じました。
東遊園地のなかをよこぎって港に行くところも好き。神戸に住んでいた私にとっては、懐かしい風景で嬉しくなりました。モロゾフのプリンカップ、札幌の我が家の食器棚でも3列のタワーが立っています。捨てられないのよね、なぜか。(笑)クマもとってもいいキャラクターでしたね。好きな登場人物に入れたくなりました!
「痛みのない惑星」――このことばのイメージが、読む前にHPで見て感じていたのと、読んでからと全然違っていました。読む前は、ティーンの、傷つきたくないという世界なのかと思っていましたが、全く違っていて、平中君の伝えたいことにかかわる大切なことばだったなと、あらためて思いました。 私も星を見つめるこの場面と同じ気持ちになったことがあります。
「宇宙からみたら、刹那でしかない二人だけど、今、この瞬間は宇宙(永遠)につながる一瞬で、私たちは今生きている」…そう思った瞬間があって、自然に涙が溢れてきたのでした。今でも私の中で光る瞬間です。
今回の作品、平中君と同い年の私がどう読むか楽しみにしていましたが、ときどきティーンの頃のことを思い出しながら、今の私が読んでいて、次第に私の中のみづきが動き出してきた、そんな感じでした。
また、何回も読みます。ありがとうございました。21世紀もご活躍をお祈りしています。*2000.12.28*
by ひろりん--"Mrs.Hiroko W.", our Club Member
(Favorite doll:みづき from『僕とみづきとせつない宇宙』)


読みました!待ち焦がれた「僕とみづきとせつない宇宙」。発売予定の一週間前に書店に予約して、新刊案内メールを頂いた翌日にゲット。つまり、22日の昨日です。レジカウンターに向かう道すがら、まずは新刊コーナーをチェックすると、天**太さんと**里さんのあいだで、なんて温かな光を放っていたことか・・思わずにっこり。胸に抱きしめたくなるあの愛らしい装丁といい、チャーミングな文字といい、言うこと無しの表情です。
大好物の無花果のタルトを前にした時のよう、「はやく食べたいけれど、食べてしまうのがもったいない」そんな気持ちで最初の頁を開くと、すぐさまぴぃん。ああ、これは本当に私が待ち焦がれていた物語だ・・と。平中さんの新刊だから、ではなくて、こんな物語をずっとずっと待っていたのでした。読み進むほどに、その実感はつのる一方。う〜ん、もう。ティーンの娘を持つ年齢の私を、こんなにほろほろ泣かせちゃうなんて。二度とは戻れない季節を、しっかり追体験してしまいました。 みづきの言動や仕草のひとつひとつに、微笑んだり、痛々しさに涙ぐんだり、感受性がいっときに若返ってしまったかも・・。とにかく、申し分のない文体は、またしても私の心をとらえてはなさず、読み終えた今でもまた何度も頁をめくってしまうほど。まったく、家事に支障をきたしてしまいます。
音楽が耳に届き、星も見えます。会話まで聞こえてきそうで、なんだかせつなくてたまらない。こんなせつない思い、ひさしくなかったような・・・。
伝えきれない想いがあふれています。でも、うまく言葉にできないまま、明日娘が学校に「みづき」を持っていってしまうので、いささか焦り気味のメッセージをしたためています。学校で始る読書週間に読みたいのだそうです。ティーンまっただなかの彼女はどんな感想を抱くでしょう。また、いつかそれもお伝えしなくては・・・。ともあれ、いまは素敵な物語にこころからの拍手と感謝を送りたいと思います。
ちょっと胸の痛む思い出も宿る、コスモポリタンのチョコをなつかしみつつ。*2000.11.23*
Mrs. SACHIKO SHIRAKURA, our Club Member
(Favorite doll:みづき from『僕とみづきとせつない宇宙』)

平中くん、新刊「みづき」買いました! ページをめくり、最初はおなじみのフレーズ<こほん、と僕は咳ばらい>とか<ったく、ったく。>やヒロイン設定(珠美ちゃん、想像通り!)を大いにを懐かしみながら平和に読んでいたのですが・・・
「月の光」のくだりで物語の中の「動き」を心で強く感じて、どんどん入り込んでしまいました。最近ちょっと忘れていたせつなさで胸がぎゅってなる感じがずっと続き、読み終わった時の自分の状態が(平静でいられるのか)想像つかなくなり、16章までで一旦閉じて、今読み終わったところです。
15年前、レインを読んだ時の気持ちが戻ってきました。新刊のお知らせにもあるように、それはテーマの回帰という面もあるけれど(私もやはり、レインが出発点で平中ワールドにどっぷり浸った一人だから)でも「みづき」はもっと切ない。このボリュームも、くり返しくり返し心の弱さ(細さ、かな)から出た言葉が飛び出すのも、この物語には全て必要なことだと思いました。うまく表現できないけど。みづきはものすごくピュアな心の持ち主ですね。それをうまく外に出せないもどかしさを私も一緒に体感しながら読みました。
今、10代でこれを読んだら、きっとレイン以上に打ちのめされて、しばらくぼんやりしてしまうかもしれない。でも平中くんと同世代で、「みづき」が10冊目の私は、読後の動揺というか感動というか空虚感というか、をどうにか自分の中で収められそうです。カバー、いいですね。読み終わった時にもう一度、じっくりカバーを見つめたら、すごく暖かい気持ちに包まれました。これは私同様、放心してしまった他の読者の方にもおすすめしたいです。
みづきの最後の旅立ちは、あの瞬間、あの愛しさを永遠にしておきたい、ということでしょうか。その一方で「珠美ちゃんにプレゼント計画!」の学習効果なく、秋から次の春にかけてのみづきとのコミュニケーションも時機を逸してしまったトオルには、何だかとても現実味があって、愛すべき存在です。このまま書いているともっともっとせつなくなるので・・・でもこれだけは言わせて下さい。「みづき」は私にとって大事な一冊になるでしょう。すてきな贈り物をありがとう!*2000.11.28*

先日「10代でこれを読んだら、もっと打ちのめされたかもしれない」と書いたのですが、少し考えてみるとせつない気持ちを何度も味わったことがある今だからこそ、余計に思い入れが強くなるのかな、と。そういう意味では、実は「大人のための」ノヴェルなのかもしれませんね。
ところで、今また「アイム・イン・ブルー」を読んでいます。このページの「みづき」の予告は当初18歳のコサカ・サトシが主人公、の設定だったから、コサカ・トオルって誰?と一瞬戸惑ってしまったこともあって。「ブルー」の発売時、私はどちらかというとすぅーっと読んでしまったんです。登場人物一覧とか、文章とか、ハヤカワ書房を思わせる「本のつくり」の方が印象に残って、ある種実験的な小説なのかな?と感じていました。でも3年経って改めて読み返してみると、いやいやこれは平中くんの言葉だ、と実感!いい発見しました。この後、戻る形でレインまで読もうと思っています。他の本も以前と違った感想を持つかもしれません。また発見があったらメールしますね。*2000.12.3*
あきこ -- Mrs.Akiko A.(Favorite doll: 彼女 from『8年ぶりのピクニック』〜『それでも君を好きになる』収録 (でしたが今、ちょっと迷ってます)

『 ご指摘のように、みづきのコサカは、最初「ブルー」のコサカ・サトシの18歳、というつもりで書き出したのですが、書いていくうちに、「ブルー」のコサカ像に縛られることより、この小説の中でのこの男のコ像を生きさせる、ということのほうが大切だという、わりとあたりまえのことに気づいたんですね。それで名前もトオル、と改めました。僕のこれまでのナレーターの中では、実はひと味違った、面白い子になったのではないか??と思います( ; 』


新刊「僕とみづきとせつない宇宙」をつい先ほど読み終えたところです。読み始めは電車の中でしたが、後半は家で寝る前に一息に読んで正解でした、人目を憚らず泣けたので。(電車の中で読んでいたら大変だったと思います。)みづきが**ってしまったところと、トオルがお皿を洗いながら流しにつかまって泣いているところで、自分も泣いて、最後の方は、はらはらと涙が出て止まりませんでした。
帯の「デビュー15周年記念特別作品」を見て驚きました。15年も経ってしまったんですね・・・ついこの間、She's Rainを読んだばかりな気がするのに!(ツッコミ不可です)でもふと思い出したら、She's Rainを買った書店と同じお店で、今度の新刊も買っていて不思議な巡り合わせ・・・とひとり悦に入っております。
読後、泣きはらした目でPCを立ち上げてメールチェックしたら、新刊のお知らせメールが届いていてとても嬉しかったです。メールに
「ふりかえれば、僕自身、デビュー作She's Rainからこれまで、自分なりにいろいろな新しい作品に挑戦してきましたが、結果、読者のみなさんの中にはShe's Rainにあったよさが損なわれたというような感想をお持ちになった方もいらっしゃるのではないか、とも思います。」
とありましたが、私は、むしろどんどん新しい作品に挑戦していただきたいと思っております。「ゴー!ゴー!ガールズ」を読み終えた時は、変な引用かもしれませんが、私にとっては谷崎の「細雪」を読み終えた時に感じた充足感と同じものがありました。よさが失われたとは全く思いません。形を少しずつ変えて成長しつつ楽しませて下さっているものと思っております。なぜって平中さんの作品のベースにあるもの(それをひとことで説明するのは難しいのですが)はずっと変わっていないと思いますし。今回の、同い年の子にヴァンクリーフ・アーペル(これ読んだ時「なにーーーっ!?」と絶句しました)をねだられる、携帯電話を持った現代のティーンズの物語は、サーティーズでも、その世界に浸って泣ける、タイトル通りせつない宇宙でした。*2000.11.22*
ゆみこ -- Mrs.Yumiko S.(Favorite doll:リンちゃん from『Go! Go! Girls (swing-out Boys)』)

『>「ゴー!ゴー!ガールズ」を読み終えた時は、
 >私にとっては谷崎の「細雪」を読み終えた時に感じた充足感と同じものがありました。
 ほんとうにありがとうございます。申しあげるまでもなく、これは僕にとって最高の褒めことば、です( :
「細雪」は僕の考える近代日本文学の傑作の最たるものであり、長篇において究極的に僕がなんとか超えていきたい"山"です。そしてゆみこさんのことばがとりわけ嬉しいのは、僕が「細雪」を目指すといって、具体的には何を目指すかといえば、それはあの読後感、あの読後の"手触り"以外の何ものでもないからです!
「Go! Go!」を書くにあたって僕の念頭には谷崎がもちろんありましたし、残念ながらというか当然ながらというか、「Go! Go!」ですでに超えることができた!などとは自分で思っていないことも、これまた申しあげるまでもないでしょう( ;
「ブルー」、「みづき」と、テーマ的にはともかくも、小説の方向性としては、僕が本来追求している文学とはやや異なった力点をひとつ孕んだ作品が続いたようにも思います。次回、長篇に取り組むときには、できれば僕の文学観、美意識に改めて立ち戻ってみたい、と考えております。
…僕にとって「細雪」がそれほど面白いというのは、たとえばあの長篇を読んでいると、作中の出来事、たとえばお花見を、「あれ、去年はどこへ、誰と花見にいったんだっけ??」とふと、自然に思えたりするところ、といえばお判りいただけるでしょうか。その気持ちは、まるで自分の人生の経験を思い出すときの気持ちとそっくりなのです。そんなの、ただの小説の中のことなのに!
いわば、もうひとつの人生のような小説。非日常的なもうひとつの経験、というのとは違うんです。本当の自分の人生ではないのに、本当の経験と同じように、ふと気づけば、知らぬまに自分のなかに根を下ろしているような…。そこに人生の"手触り"のある小説、といってもいいかもしれません。これが僕の思う究極の小説の面白さで、これがいまの僕の小説観です。(2000.12.9)』


平中さん、こんにちは。「みづき」と「宇宙」、それぞれについて感じたことをメールさせていただいたところで、やはり「僕」についてお伝えしないわけにはいかない!――そう思った結果、三たびのメールとなってしまった次第です。
前作『アイム・イン・ブルー』での主人公「僕」が出逢った女性たちは全て、何らかの形で「僕」との別れを迎えています。しかも、その別れ方は関係性の半永久的な断絶を暗示しているようです。運命的な出逢いや魅力的なエピソードが存在しながらも、「僕」はそれらを共有した彼女たちと再びめぐり逢うことはない――『She's Rain』からすでにはじまっていたとも思える、この主人公「僕」の、いわば“失われた再会”の構図は、今回、『アイム・イン・ブルー』では脇役であったコサカ氏を主人公「僕」に据えた『僕とみづきとせつない宇宙』で、究極の形となって現れている、という気がします。
 別れとは、その瞬間にそれまで互いの間に流れていた時間を止めるもの、といえるでしょう。それでも再会できるのなら、あるいはその後異なる時間を刻んだ互いの砂時計を逆さまにして、別れの瞬間から新たな時間の流れ出すこともあるでしょう。けれど二度と出逢うことがないのであれば。“停止した時間”の作用によって、相手との記憶が自分の中で純化され、出逢いの事実そのものが運命性をもってくる、そんなふうにも思えます。今回そうした“失われた再会”の構図が、「僕」とみづきの上に絶対的なものとして配置されたことで、記憶の純化や出逢いの運命性が、より深く、大きな読後の余韻となって残るように感じられました。
 そんなみづきとの別れに対し、「僕」が家族のもとへ戻る状況は、ある意味“鏡合わせ”のように描かれているといえるかもしれません。「再会できる・いつでも会える」家族や友人との関係は、もっと日常的なもの(『ギンガム・チェック』『シンプルな真実』等のエッセイでも問われてきた)“他者”としての存在者、というよりも、自分自体を形作るもの、あるいは自分という存在のベースとなる愛情の在処、として示されているように受け取れます。
 この「僕」にとっての拠り所となる愛情なくしては、これまでのさまざまな作品で描かれてきた“失われた再会”の構図は機能しないし、それどころか全くありえなかったのではないでしょうか。今回、本作で提示された「僕」と家族との関わりが、平中さんが考える“他者”(今回ならば、「僕」がその全存在を賭して向き合う相手であるヒロイン・みづきがその最も主たる存在ですね)との関わり方を、かえって鮮やかに浮かび上がらせたかのようです。
 主人公「僕」は――と、はじめようとして、私の中にもそうした想いがあること……自分の受け取った愛情を“他者”に注ぐ、という関係性を続ける毎日のなかで、あるとき、ふっと失われたものに思いをはせ、立ちどまりたくなる気持ち……に気がつきました。
『みづき』に登場する「僕」に限らず、平中さんの他の作品に登場する「僕」たちの存在は、かつてわたし自身が通り過ぎた感情や想い出に還るひとときを与えてくれます。それは、あるときはリアルに、またあるときはうっすらと曖昧なままに、作品に流れる濃淡さまざまなブルーの色や、少しビターな味わいを連れて、わたしの中に作品ごとの記憶としても少しずつ、少しずつ降り積もってゆくのです。
どうぞ、これからも素敵な作品を書き続けていってください。*2001 1.10*
by Miss Junko Konishi, our Club Member
(Favorite doll:みづき from『僕とみづきとせつない宇宙』)

『Junkoさんのこの鑑賞は、ある種の問題意識、あるひとつの側面においては、ほとんど著者である僕の問題意識とおなじ圏内にあり、おなじスピードで進んでいるように感じます。ここでは、僕が「みづき」において達成したことが語られているだけでなく、「みづき」を踏まえて僕の作品世界が当然進んで行くであろう方向を予言し、先取りしている部分があるようにも思うんですね。どうもありがとう!
 それで、僕はこちらのページに掲載させていただくメッセージ、一部割愛させていただくなどはしても、ことばとしてはみなさんがお寄せ下さったもの以外なにも使わない、という方針でつくっているのですが、今回の小西さんの文章は内容がたいへん面白いのにやや文章が判りにくいように思え、もったいなく感じたので、申し訳ないけど一部ことばを平易にさせてもらいました。ごめんなさい!
 ことばにいくつかの意味が考えられるときは、それを定義づけ、限定しておかなくてはなりません。説明が必要なのです。抽象度の高いことばを使うときはなおさらです。これはJunkoさんの例ではないですが、「この小説は(たとえば)ハードボイルじゃなかったので面白くなかった」というような口の利き方のメッセージもまれにいただきますが、この場合“ハードボイルド”ということばの定義付けがなければ、論点がまるで判りません。だから残念だけど、全く参考にもなりません。その定義があってはじめて、僕も「なるほど、それは鋭い指摘だ!」と思ったり、あるいは「ああ、それが“ハードボイルド”だっていうならそうじゃなくて当然、だって僕はそういうものは書く気がないから!」と思ったりできるというもので、ただたんに「ハードボイルドじゃない!」と投げだされてしまっても…。まぁ、本人にとっては意味は自明で単一なのかもしれませんが。他の人にも意味の判る(意味ある)文章を書く、というのは思いのほか難しいものですね(笑)
 またJunkoさんのように、意思的に、その文におけるgoalを予め設定し、つまり自分の書きたいことを明確に持って文を書くときは――物書きはみんなそうやって書くものですが!――一方で、あまりそれに拘泥すると文章が硬直し、死んでしまう、という弊害があります。文は生き物であり、文の中から自ずと生まれでる流れ、自然に行き着くconsequence、というものを持っています。それは、時として書き手の書きたいこととアベコベになってしまうこともあるのです! だから文を書くときは、心を澄ませてその文の「行きたい方向」を感じなくてはなりません。そして文をむりやりねじ曲げないように、自然な「息づかい」殺さないようにしなくては…。それと自分の書きたいこととの折り合いをつけるわけですが、それは、焦らずにこのふたつの「息づかい」を揃え、整えていくことで可能になります。文と自分の書きたいこと、このふたつの「呼吸」が上手くシンクロしたところでピークを迎えることができた時、陳腐ないい方で恐縮ですが、いわば「イク時は一緒・」(失礼!)というやつで、その文章はすばらしい文章になるように思います。…以上、無料文章講座・上級(笑)でした!(2001 1.11)』



表紙画像 平中悠一=著 『僕とみづきとせつない宇宙』
河出書房新社より発売中!
1,800円+tax





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Last update Oct.17.2009