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質問とお返事
『 えーっと、僕は書きことばと喋りことばは別物だと考えています。標準語の書きことば、というのはある程度確立されているように思うのですが、関西弁はそうではなく、それを書きことばに直そうとすると独自の表記法を考え出さなくてはなりません。ふだん使っている関西弁も文字にすると、不思議とニュアンスや強弱のようなものが表現できず、読み返すとこうじゃない、こうじゃない、と思え、なんだか死んだことばのように感じて歯がゆいのです。そこで、僕はいっそ諦めて標準語を使うことに活路を見いだしました。僕の会話がリアルだ、といって下さる方がときどきいらして、嬉しいのですが、でも、自分では、やっぱりすごくアーティフィシャルなものだと思っています( ; 』
『 あはは。いや、そのお気楽な感じはいいと思いますよ。伸ばしていきましょう(!)
好きな作家はいろいろいますが――フィッツジェラルド、チャンドラー、日本人では荷風とか...――自分に似ているなぁ、という人はいませんね。ある面では似ていたり、感化を受けたりしているのですが、結果として書いているものはずいぶんちがいます。
小説を書く上で僕がいちばん明瞭に影響を受けたのは、まずサリンジャー、片岡義男さん、そして作詞家の松本隆さんです。
今年に入ってからは、小説だと、谷崎や荷風、バルザックやプルーストなんかをわりと楽しく読んでいるのですが、、、うーん、あまり参考になりませんね。まぁ、僕の新作を待っていて下さい、ごめんなさい!( ; 』
『 えーっと、それは男女のちがいではないですね。
どんなに忙しくても、ほんとに会いたければどうやってでも会うはずです。
声がききたければ電話くらいするはずです。
電話がないということは、それほど声がききたくない、ということです。
そういうシンプルなことすら判らなくなって、
「うーん、忙しいからかな??」なんておまぬけなことを考えてしまう、これもまた、恋のだいごみ(?)でしょう。
恋をすると、ひとはみんな可愛くなりますね( ;
本人は、いたって大真面目なんですが(笑)
++恋愛は、そもそも自分の心の中で起こることですが、人はやはりそれを表現せずにはいられませんよね。で、その方法は、できるだけ、ううん、それ以上に、時間と気持ちをより多く、その相手に注ぐことでしかありえないんじゃないかな。
だからね、逆もまた真で、あなたが誰かをとても愛しているなら、その人から同じように愛されたいと思うのは自然だし、そこであなたが求めることは、もし私をほんとうに愛しているなら、どんなかたちであれ、うんといっぱい時間と気持ちを私のために使ってほしい、ということになるでしょう? それ以外には誠実に愛情を伝えるすべはないんだから。それ以外にはない、ということは、誰でも、いち度でも誰かをほんとうに好きになったことのある人はもう、からだで知っていますから(笑) 男と女といっても、やはりおなじ人間です。これは共通の真実だと思う!
一瞬だけいいことをいって、短時間いい顔をして去っていくのはかんたんですよ。それで「ステキ!」と思われるのもね。たしかにそれしかできないこともありますが、誠実に愛し続けることにくらべれば、やっぱりうんとかんたん。それにね、愛という以上、それはついえたりしないものであってほしい、と僕は思うんですよ。継続するから、変わらないからこそ愛は貴重なんだから!』
『 『シンプルな真実』にも書きましたが、人は誰でも恋をするけど、でもその内実はいろいろです。たとえばその「深さ」は外側から測ることはできません。
深くない恋は贋物の恋、とはいわないにしても、より深く恋するほうが(恋は他者と自分を切り結ぶことなので)とうぜんより辛い思いや悲しい思いも多くともなうわけで、そのぶんより大きな楽しい思いや喜びも味わえるはずです。もしそうでなければ、深く人を愛する人は、マゾかばか、ということになりますから( ; 恋愛から得る果実も、ほんとはより大きいはずです。
「恋をした!」「あ、私も、私も!」という具合に『恋』というおなじことばで括られてしまえば、たとえば真実さんが「ちょっと、あなたのその『植物的な』恋と、私のこの恋を一緒にしないでよッ!」などと思ってしまっても、とうぜんじゃないかな、と僕は思いますよ。
恋をする、というのもじつはひとつの能力だと思うんです。音楽が得意とか、スポーツが得意とかいうのとおなじで、得手不得手、個人差があるわけです。音楽やスポーツを大して好きじゃない人も音楽を聴くでしょうし、スポーツをするでしょう。でもその「やり方」はぞんざいでしょう。大好きな人にいわせれば。また、好きこそものの上手なれ、で好きであれば熱意も努力も人一倍ですから、その分得意になってもいくでしょう。大事にもするでしょう。
恋はだれにでも自然に、平等にエンジョイできる、というのが欺瞞だし幻想だと思うので、自分とおなじかそれ以上に恋が得意な人、つまり、自分と同等以上に日々の暮らしのなかでひとを愛するということにプライオリティをおいている人と付き合わないと、いつもフラストレーションがある、ということにもなりかねないのかもしれませんね…。
なお、僕は恋愛小説書きとしてもちろんより「深い恋」を賞揚しますが( ; 「そういうの全部狂っちゃってコントロールできなくなる」気持ち、それはほんとうに切実なのに、そこをもうひとがんばりして、ぐっと抑え込む、というのもじつはまた「好き!」という気持ちの強さのなせる業、ですよね? 諦める、とかじゃなくって、ポジティヴシンキングで、明日のために、明日を信じて、ちゃんと恋をしていけばいいんだと思います( : 』
『大方の男性の恋の悩みの答は女のコから見れば単純明快みたいですが(「それはこうで、こうなのよ!」といったミもフタもないアドヴァイスを受けたことも、恋多きボーイズならいち度や2度ではないはず!)逆もまた真、です。でもいろんなことがよく判らなくなるくらいでないと、恋は面白くないですよね!
確かなことは、自分が相手を本当に、切実に好きなのかどうか。もしそうであれば良いことだけでなく失敗も、あとからみれば決して無駄にはならないはず。その場その場の方法論もありますが、心を澄まして自分自身を見つめることだけが、恋する者にとって唯一の、普遍的な、『黄色いレンガの小道』だと思います。
とはいえこういう情の薄い系の男に往々にして女性は惹かれてしまうものらしく、誠実だけが取り柄の僕みたいな(いや、ほんとに)男性は、陰ながら悔しい想いをしているのですよ。そうですよね、男性visitorのみなさん!(…あるいはこれも、「逆もまた真」??)』
『血液型、調べたことないんですよ×××
でも、いつも友達には「お前は絶対B型だよ」といわれ、女のコには「あなたは絶対A型ね」といわれます。だから自分では、AB型なんじゃないかな、と思っています。
そう思うと、ますます調べる気がなくなっちゃって。だって、
>AB型の男の人が好きみたいです。
なんていうひと、珍しいですよ、きっと(笑)』
『うーん。近年の神戸のレストラン、収穫はやはりご存じオールドホンコン・レストランとラミティエ・コム・シノワにつきるのではないでしょうか。共に味・インテリア・価格のバランスがよく、女のコ同士のお食事会や、若いカップルのちょっとしたデイトには打ってつけと思います。後者はフレンチというより殆ど地中海料理ですが、グラス・シャンペインにヴーヴー・クリコを出していましたよ!(近頃は僕ももう年で、デイトとか、そういうロマンティックなことには縁がなくって寂しいです(笑) )』
『コンサヴァティヴな女のコ「も」もちろん変わらず好きです。ハミガキは色々使っていますが、サンスターのGUMをいちばんよく使うような気がします。』
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Last update Oct.17.2009