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12.

 英会話上級で語られたことばはそんな生きた誠実なことばだった。ほんとうに話すべきことを、けれん味のない自分のことばで話している。そんな英語だった。
 語るべきことば、というのは聴くに足ることば、でもある。練習のためにしつらえられた内容の薄いダイアログをばかみたいに聞かされるより、何倍も面白く、何倍も身になる。英語の勉強をする気がさしてなくても、語られている内容自体が面白いのだから、勉強する気になれば、教材としては最高だろう。せっかく新しいことばを喋るなら、やはり自分が喋るべきことばを喋りたい、と僕なら思う。切実なことば、といってもいい。具体的にはどんなものであれ、ほんとうにだいじなことばとは、究極的にはそれだけだろう。だからことばを勉強する時だって、やはり誠実に喋られた、切実な、つまりこれがほんとの意味で生きたことばだと思うのだが、語られるべき内実をともなって語られている、そういうことばから学ぶのがいちばんだろう。とはいえそんな教材、まずあるわけもなく、それを達成していたのが英会話上級だったと思う。
 考えてみれば、これはビジネス英会話と、殆んど真逆の位置にある、といってもいい番組だったかもしれない。実用的、というのはいわばアメリカ英語、ないしアメリカの特長でもあるから、そういう英語なら溢れているが、そうではなくて、抽象的なことを、それも生きた英語で聴く、ということが毎週できたのが、ほんとうに面白かった記憶がある。
 アメリカ人が英語で本心を、問わず語りに語る。生きたことばで抽象的な、人生観、宗教観などまでも。華麗というよりも、むしろ素朴で、けれん味のない世界。これが英会話上級の魅力だった。事実ラリー・キングもこの番組に、なんとインタヴューイーとして登場していて、CNNの彼は僕はさほど見たい気も起きないのだが、こちらでは、むしろそう悪くない回だったと思う。また、ピーナッツの生みの親、チャールズ・シュルツが出た回もあったが、あの回など、ほんとに泣かせた。NHK教育だって、留保なくすばらしいといえる番組、敬服に値する番組をちゃんとつくっていたことがある。

 話がかなり真面目になってしまったが、ここでぐーっと元のお気楽な路線を挽回して賑やかに、後半からフィナーレへと行きたい。
 そもそもこれは、杉山利恵子先生の話である。杉山利恵子先生の喋り口が異様に可愛い、ということが、全体の骨子である。どのくらい可愛いかというと、5月も後半に至って、もう、僕など完全に、今期のフランス語講初級篇では、フランス語を勉強する気がなくなってしまった。というか、とてもできない。ひとことごとに「うわぁ、可愛い。なんでこんなに可愛いんだ」と思っているのに、どうしてフランス語の勉強ができるだろう。担当が初級篇だったのがせめてもの救いである。


表紙画像ミラノの犬、バルセローナの猫
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13.

 そもそも全体の骨子は、杉山利恵子先生の喋り口が異様に可愛い、ということだった。この骨子を、仮に杉山利恵子先生の物まね(??)で表現するとすれば
「利恵子が可愛い、ってことが分かればいいんでした」
 という感じだろうか。(だめか?)
 だがそれに先だって、ひとつ断っておかなくてはならないことがある。少し前に「大リーグ・ボール養成ギブス」などを持ち出しあれこれ書いたが、あのマンガの主人公は飛雄馬であって飛馬ではない、という指摘をもらった(ありがとう〜)このように、僕には思い違いやうっかり間違えが大変多い。日本語でさえこうなのだから、新しく韓国ドラマ名セリフ集のページも設置したけど、あのハングルトランスクリプションは僕が聞いたままなので、同じような思い違い、聞き間違い、はてはタイプ打ち間違いがさぞあるに違いない。そのあたりはイェップゲ・パジュセヨ、ないしニガ・アラソヘ、という他ない。
 ついでながら、僕はかなり理屈張ったことも書くので、相当考えの硬い人なのだろう、と思われることも多いが、実際のところはほぼふにゃふにゃで、説得される用意はいつでもある。そしていったん説得さえされてしまえば180度考えをフリップして、同じように力説することになんの躊躇もない。共通するのは、どういう立場に立つとしても、常に真面目だし本気だ、ということくらいだろうか…。
 さて、杉山利恵子である。
 西垣知佳子の日本語のビミョーな感じが、主として抑揚やストレス、ためや走りの緩急、ブレスの位置、といった文章ではやや捉えにくい部分であるとするなら、杉山利恵子の可愛さは、そのことば遣いやイントネーションだけでなく、発音そのものに依存している。ここにきて、先にいった、外国語を学んでいると母語が少し相対化される、母語も外国語を学ぶ時のように、その言語に一般的な音にはめ込むのではなく、音そのものが固有の音として識別されて聞こえるようになる、という話もやや具体化してくるのではないか、という気がする。
 だいたい僕は“発音フェチ”とかいっているが、一体何を聞いているのか。具体的には、何が聞こえているというのか。いい機会なので、どのくらい説明できるか、ちょっとトライしてみよう。
 まず、杉山利恵子先生の喋り口の可愛さに、フランス語の音が混じっている、つまりフランス語の音と日本語の音がイケイケになってるところ、そして日本語の音がときどきグラグラしちゃう、というところがある。
 フランス語についてはご専門なので、いうまでもないことだろうが、たとえば不定冠詞のunなど、フランス人以上にフランス人、というか、つまりvinとかfaimのinという鼻母音と明確に発音し分けている。杉山利恵子先生が《Un café, s'il vous plaît!》とラジオからいうのを聞くだけで、もう、異次元体験というか、あたりがすーっとフランスになるというか、いながらにしてそこは、パリのカフェ。そのくらいのunである。



14.

 そんなご専門のフランス語の音がときどき日本語に混じっちゃう、という可愛らしさが杉山利恵子先生の喋り口にはまずある。
「男性名詞」が《dan》「ミカエルさん」が《san》と、日本語にはない鼻母音にややなったり、「不定詞」「少し」の「し」が《ch》すれすれになったり。このあたりは息の音、息づかい・息の吐き方の可愛いらしさ、ということもできるかもしれない。鼻母音も鼻に息の抜ける音だから、息の音をともなうかともなわないかでフランス語にしろ韓国語にしろ、別の音と認識するともいえるが、日本語ではその区別はないからふつう日本人は気にしないし、こういうことをいうとただヘンな揚げ足取りをしていると思うかもしれない。しかし、杉山利恵子先生の喋り口が可愛いとは多くの日本人が思うだろうし、その原因を具体的に捉えようとすると、たとえばこういうことになる。
 フランス語との関係を離れてもう少し、音がグラグラしてるところをみると、母音では「それでは」や「それから」が特徴的で、やや誇張して書くと殆んど毎回「すれでわ」わりと常に「そりから」に近い音になっている。(でも、考えてみれば、これはフランス人の日本語の訛り方にかなり近いようでもあるが…うーむ。)場合によっては極端に表記すると「そりディワ」と《e》を越えて《i》に近い、緊張した母音が差し挟まれたり、「これは」「それが」も「こりは」「そりが」にたびたび近い。子音だと「した時」「かたち」の「た」がdになっている時があるが、これはむしろ英語には一般的な音変化風だ。
 英語といえば西垣知佳子先生には「(ぃ)かがでしたかぁッ」の他に印象的だったものに、これも誇張するが「こたえあーせをいたし(ま)あ(っ)しょぅ」というフレーズがあった。これにわりと近い印象のものに、杉山利恵子先生の「しておきましょう」が、概ね「しとーきましョォー」になっているという例がある。
 おふたりとも語尾の部分が特徴的で、ソフトな感じ「頑張って勉強してね♥」という感じがここに宿っているわけだが、西垣先生の語尾のビミョーな感じは、彼女の他の喋り口とも共通な、主としてストレスとそれにともなう息づかいとして説明できるだろう。ところが杉山利恵子先生の語尾の特長は、前述の鼻に抜ける息の音、鼻母音的な部分とは少し違う面からも捉えられる;喉の締まりだ。
 注目して聴いていると利恵子先生の喉は、びっくりするほどよく締まる。たとえば先ほどの「しとーきましョォー」も思わず「しョォー」と表記したが、ここの音がふつうの日本語の「しょう」とはやや違って響くのもひとつには「ょう」にかけての喉の締まり具合・緊張に依存している。
 もっとはっきりした例だと、疑問をあらわす語尾の「かァ?」がある。西垣知佳子先生の同じ語尾の「かぁッ?」も特徴的だったが、こちらは先ほどのとおりストレスとそれにともなう息の音で、杉山利恵子先生の「かァ?」の特長はまず、喉の締まり、なのだ。



15.

 西垣知佳子と同様、杉山利恵子先生においても、いちばん目立つその特長はやはり終結語尾で、勧誘をあらわす「しょう」たとえば「しましョォー」、疑問をあらわす「か?」たとえば「できました・かァ?」だろう。「た・かァ?」と思わず中黒を入れたが、ここでいったん*キュッ*と喉が締まっている、ここに僕は注目しているわけだ。これは、僕が韓国語を勉強したからだということも大きい。
 先に、息に注目し、フランス語の鼻母音までも鼻に抜ける息の音と捉えられるのではないか、としたが、韓国語では息の音をともなうものを激音、まったく息の音をともなわないものを濃音と呼んでいる。これでいくと、西垣知佳子先生の終結語尾の「かぁッ?」は強いストレスによる息の音をともなっていることが多いから、かなり激音的、といいたい感じがする。一方利恵子先生の「かァ?」は鼻母音的に往々にして鼻に息が抜けるから、これを息の音と捉えることもできるが、その発音前には、大抵いったん、クッと喉が締まっている。こうみると、この「かァ?」についてはかなり、明確に韓国語でいう濃音に近い発音がされているわけだ。まったく息の音をともなわない濃音、というのはつまり、まったく息を吐かない音で、なぜ息が出ないかといえば、喉を締めるからだ。
 日本人は日本語の音変化、あるいは音のくずれにたいして無頓着で識別しない、といわれるが、それはたとえば韓国語の濃音に近い音を実際にはふつうに使っているが意識していない、という例が挙げられる。韓国語をやると必ず教わることだが、日本語の「赤」この「か」の音、これがほぼ濃音だ。日本語では書き分けられないし識別されもしないが「お菓子」の「か」と「赤」の「か」は音が違い、表記と発音の乖離がより少ない韓国語ではそれぞれの字を持っている。試してください。「赤」のkは喉が締まっている。「赤」がa-k-aと、aという同じ母音の間にkという無声の子音を差し挟むだけで表現しなくてはならない、という結果的に日本語としては珍しい音の並びになっているため自然に起こる音変化なわけだ。日本人には珍しく、ここで「あkあ」と、単独の子音の存在を強調している、ともいえるだろう。一方「できましたかァ?」の「たか?」ta-kaでは、通常日本人はtaをtとの結びつきというか「た」という分割できない1音節として捉えるので、続く「か」のkに濃音までは要求しないのがふつうだろう。しかし、ここで利恵子先生の喉は、必ず*キュッ*と締まっちゃうのである。「かァ?」が来るとたいていそうで、「ですかァ?」と、su-kaになっても感情を込めて読むと、まだ喉の締まりをキープしている。日本人にはこれは珍しい、日本人離れしてる、といえるだろう。


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  • 16.

     杉山利恵子先生の日本語の可愛らしさは、まずフランス語的な、鼻母音的な鼻に抜ける息の音の混入、母音や子音がややグラグラしてることでも説明できるが、同時にその全体に及ぶ特長が“喉の締まり具合”といえる。息に注目すれば、息の止まり具合といってもいい。疑問をあらわす語尾の「かァ?」はこれがとても明瞭にあらわれた例だ。
     そう思って聴くと、ここだけではなく、もっといろんなところで彼女の喉は、よく締まる。「かァ?」は特徴的だが、kが出てこなくても、「さて」もしばしば「さティ×」とぴたりと息が止まり、和訳読み上げ時のouiも「は・い」と中黒を入れたい感じもときどきする(笑)同意を求める語尾の「(です)ねぇ〜」もそうで、かなり喉の緊張があって、西垣知佳子先生の、独特の抑揚・ストレスと息の音に集約される「(です)ねぇッ」とは、同じように特徴的で、同じように強調され引き伸ばされていて、どちらも優しく語調を和らげる機能を果たしているのに、響きとしてまったく違う印象になっている。
     また実際には、この喉の締まり、“合わせ技”的にもあらわれてくる。そもそも「かァ?」もそうだが、いったん喉が締まって息が止まったあと、特にaないしa方向へグラついた音、母音等が差し挟まれると、たいていその息はフランス語的に鼻へ抜け、鼻母音的な響きをともなう。いったんkでクッと止められた息がフウッと鼻に抜けていくから、杉山利恵子先生の「かァ?」の「ァ?」は、あんなに涼しげに響くんですねぇー。(と、ここもやや利恵子先生で読んどいて)
     しかしこんなふうにある程度でも説明的に捉えられるのはごく限られた部分で、講座を聴くたびに「なんでこんなに可愛いんだ、いったいどうして??」と思える発音はまだまだある。残念ながら、それらをうまくことばで捉えることが僕にはできない。
     外国語を勉強することは、母語を相対化することでもある、と先にいった。これは僕らにとってはいいかえれば、恐ろしく限られた数しかふだんは識別されず見過ごされている、しかし日本語のなかに本当はあるさまざまな音の豊かな世界に気づくことでもある。
     日本語を母語としない人にたいする日本語教育という面で、日本はかなり後進的な、非洗練の原始的な状態にいまだあるかもしれない。そこではまだオーセンティックな、正しい日本語とは何か、ということを確立することに汲々として、日本語本来の豊かさを「曖昧さを廃する」くらいのつもりでヒステリックに切り捨てているようなところがあるのではないか。たとえば助詞の役割の定義など、確かに学習者は知りたがるところだろうが、正しい、というよりそうともいえるというような、一例というか一面的な定義に落とし込んでいるのではないか。



    次頁へ続く)

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