↓↓最初にこちらのバナーをクリックして、ページを開いてください。
送信ボタンなど、特定の箇所をクリックする必要がある場合もあります。(無料です)
表示されていない場合は、ページの最後にもバナーがありますので、そちらをクリックしてください。


バナーは自動的に送信されてくるため、先方のコンテンツの確認はこちらでは行っておりませんのでご留意下さい。

[Home] [ < - prev page] [contens]


17.

 ヨーロッパ系の言語を初めて学ぶとき、日本人が前置詞や冠詞にどうしてもこだわるように、日本語の初学者が助詞の違いにこだわるのは当然だし、そのあたりを一面的に定式化したくなるのは理解もできるが、むしろ初学者には、やや嘘になってもむしろキッパリ実用的に明確な違いはなく、ようはニュアンスの違いであって、それは上級になればさまざまな例から応用的にに理解できるものだから、いまの段階で使い分ける必要はない、一律に定式化して使い分けても日本人は必ずしもそうは受けとめない、と教えた方が、実際の日本語にはるかに近く、長期的には日本語の豊かさにはるかに資するだろう。それよりも、この識別する音の極めて少ない日本語のなかにある特有の、他国語には珍しい音の捉え方、長音、促音、拗音、濁音などの感覚をさらにしっかり鍛えるほうがだいじではないか。
 と、ここに僕がややこだわるのも、曖昧に、驚くほどの多様性をむりなく抱えこむ日本は、その一方で正しい・正しくない、といいだすとこんどはびっくりするほど貧しくなり、硬直的な一律化を強硬に強いる。日本人にはどうもそういうところがあると思うからだ。そして、後者は日本が失敗する時の、いわば『負けパターン』でもあるのではないか。僕も日本人だから、前者の日本はどちらかといえばやはり好むが、後者の日本の傾向は、明確に《Je deteste ca!》である。
 イラクの人質事件以来、日本人の弱いものいじめ体質が露骨になっているように思う。しかしそれはまず、自分たちが正しくない、間違っていると思う者への単純な攻撃でもあるだろう。
 たとえば自分がここまでぐっと我慢して、状況に適応しているのに、我関せずに好き勝手をしている(ように見える)者がでてくると腹が立つ、という気持ちは日本人として僕も理解できる。だが節度というものはどこに行ったのか。しかも強い者にはなんの抵抗もせずなすがままになりながら、それだけならいいとしても、その分弱い者に対しては、ここぞとばかり鬱憤晴らしのようによってたかって憎悪をぶつけるこの醜悪・愚劣は、同じ日本人として見るに耐えない。いくら自分が我慢してるからといって、主体的にしているなら、それこそ自己責任というものだろう。自分と同じように我慢しない人間を叩きのめしていい、という根拠には、それはならない。
 たとえば国旗に敬礼することにする。そのこと自体はいいかもしれない。問題は、それに賛成できない人間を許容できない、ということだ。みんなが従っていることに従わない人間を許せない、ということだ。このままでは、子供を持つ親が「お父さんはどうして日の丸に敬礼しないの? お父さんは非国民なの?」「お母さんが非国民だって、みんなが僕をいじめるよ。非国民のお母さんなんか、嫌いだ!」と泣かれる日の来ることを真面目に心配しなくてはならない。いまのままなら、その日は、おそらく僕の目の黒いうちに確実に来る。60年前に逆戻り、というのは、現在非常に現実性のある危惧になっている。日本のこの60年の自由主義は、個人主義は、人権主義は、一体なんだったのか。犬の糞なのか。




いい日本語の先生になって下さい...(^ ^)

日本語テキストの定番、といえば...

みんなの日本語 みんなの日本語 初級1 ¥2.625 スリーエーネットワーク ; ISBN: 4883191028

みんなの日本語 みんなの日本語 初級2 ¥2.625 スリーエーネットワーク ; ISBN: 4883191036

みんなの日本語 みんなの日本語 初級1 教え方の手引き ¥2.940 スリーエーネットワーク ; ISBN: 4883191605

みんなの日本語 みんなの日本語 初級2 教え方の手引き< ¥2.625 スリーエーネットワーク ; ISBN: 4883192040


18.

 世界でも類のないほど思いやり深く心配りの行き届く日本人が、時として世界でも類のないほど狭量で強硬で凶暴な人々になるのは、多分同じひとつの特質が両極端にでた表裏一体の結果なのだろう。思いやりや心配りが極端に篤いのはいいとしても、一方で、僕たちは他人を判断する時、何かが正しいとか正しくないと審く時、自分の立場を守ろうとする時、自分たちが極端に出やすい、異常なほど不寛容になる、という短所を持っていることを忘れないほうがいいだろう。
 むろん正しい正しくない、という判断をすべきではない、ということではない。むしろいま僕らは、あまりに正しい正しくないという価値判断を棚上げしてその場限りの損得だけで生きすぎているくらいだ。何がほんとうに正しいのかは、もっとまともに考えるべきだろう。それはいわば理念の話で、誤っていると思うものに対しては、やはりその非を糺すのは当然のことだ。しかしこれはどこまでも理念の世界、理と理のぶつかり合いであって、そこに感情を持ち込む必要は本当はない。つまり問題なのは、まずいのは、正しい正しくないの判断をすることではなく、それに従わないものに対して感情的な攻撃を加える、というところだろう。これは、あるいは「こう正しいからそれに従う」という理念の部分ではなくて「みんなが正しいといっているから従っておこう」というような情緒的・感情的理由で考えを決めている人があまりに多すぎることの反映なのかもしれない。だからあまりに多くの人が本来理念の問題であるはずのものを、感情的に受けとめて、感情的に解決しようとするのかもしれない。理由はともかく、これは止めなくてはならない。なぜなら正しくないからだ。
 と、こうして正しい正しくないを判断し非を糺していくことは必要だが、同時に反対者はただの邪魔者ではない。彼らはこの世界の広がりでもあり、可能性でもあり、未来でもあり、時には彼らこそ正しい場合もあり得る。
 杉山利恵子先生の喋り口の可愛らしさは、外国語の学習によってより明確に捉えられるだろう。それは日本語に本来ある音の豊かさに気づくことでもある。しかし母語は、ことばは、人のものごとの理解の根底にあるのだから、外国語の経験に頼らずとも日本語それ自体が、利恵子先生の可愛いらしさを十分に捉えることのできるだけの許容力や幅の広さをもつ、硬直的でないことばであることを僕は願う。
 この可愛らしさをほんとうに理解するには、やはり実際に放送を「聴いてくだ・さい」というしかない…この「さい」だって、杉山利恵子先生の「さい」はほんとうに可愛いのだ。これもまた、(d-)a-s-a(-i)とaにはさまれた子音に際する利恵子先生特有の喉の締まり、それにともないいったん息が止まり、そこからSという息の音へと抜けるのだが、それがフランス語の鼻母音的な鼻へ抜ける息づかいの音になる。前にいった“合わせ技”的な、そういう可愛らしさなのだが…上手く説明できているとはあまりいえまい。このあたり、たいへん心残りである。


利恵子先生のしゃべり口が、ほんとはどのくらい可愛いのか、どうしても知りたい!!という人は...

杉山利恵子先生のNHKラジオ フランス語講座は2004年9月まで(フランス語でいうと10月まで!)NHKラジオ第2で月-木 朝7h25, 昼13h20からの2回放送。

「うわぁ〜、こんなに可愛いのに、第1回からどうしても聴きたかったぁ〜!」と思った人は、通例通りなら、2005年の10月から、後期の入門編として再放送になるはずです!

本文中では、おしゃべりに注目して、ややおもしろおかしげにも書きましたが、利恵子先生の講座は、講座自体としてもすばらしい。
いや、あまり贔屓の引き倒しになってもナンですが(笑)たとえば動詞の活用ひとつとっても、初心者は必要以上に複雑に感じるもの。そこをいちばんシンプルに、例題と併せ「これだけ分かれば・大丈夫・だから、ね。」という感じで(笑)ホントに最小限のところが無駄なくシンプルに押さえられていると思います。フランス語の先生は、みなさん自分なりの憶え方のコツ・勘所みたいなのを教えてくれますが、利恵子先生くらい簡潔な人も少なく、ああ、このひとはホントに試験勉強とか得意だったんだろうなぁ、という感じがします。(仏検の本なども書かれているようですが、この感じだと、試験を受ける人にはとてもいい本になっているのかもしれません)真面目に集中して(「おお、また可愛いぞ♥」などと余計なことは思わずに!(笑))聴きさえすればフランス語の基礎がかなり無駄なく頭に入ってくる入門者にはいい講座ではないでしょうか。ぜひ再放送をお楽しみに!

「そんなに待てない、もう我慢できないっ!」という人は...(笑)

ラジオ講座はCDブックにもなっています。

CD NHKラジオ フランス語講座2004 4
¥1.581日本放送出版協会 ; ISBN: 4143310856

  • Online shopping ネット上で注文--- [クロネコヤマト・ブックサービス] 送料無料 shipping free

  • 19.

     さて。可愛いといえば、韓国語講座のゲストでいちばん可愛かったのはだれだろうか。語学アラカルト、最後にこれに触れておこう。
     杉山利恵子先生の日本語の可愛らしさが豊かな発音によるものだというなら、韓国語にはその音の豊かさが最初から求められている。その上韓国語は可愛く喋ればほんとうに可愛いことばなので、韓国語会話のゲストの女のコたちの韓国語はおしなべてみんな可愛いわけだが、なかでもいちばん、ということになれば、これはやはりイ・シンミンさんで決まりではないか? 可愛いだけでなく、非常に情感の迫るものがあって、かなり艶っぽくもありました。艶っぽい、といっても、それはもちろん清潔なお色気である。(笑)と、このようにきっぱり「清潔なお色気」などと書いてしまえば、確かにそういうものもちゃんとありそうな気がしてくるところが日本語のいちばんすごいところだ。このあたりの日本語の強みを日本語で文学をする者は十分にプラスに生かしていってこそいいところだろう。それは犯罪者やどこぞの政治家がするように強弁の方途としてではなく、反対に、話者のことばを二重化する、むしろ相対化する、視点の安定化固定化を禁止する技術でこそあるべきだろう。簡単には、懐疑的、批判的であったりシニカルであったり、サーカスティックであってこそいいだろう。
     とにかくシンミンさんは喋り口が可愛いだけでなく、実際見た目も可愛い人らしく、ネット上にはあまり写真が出ていないが、たとえばこういうページ
    http://homepage1.nifty.com/mnmk/moou2.htm http://homepage1.nifty.com/mnmk/moou4.htm
    にちいさくでていた(見のがしません)。 これは、タレントをなさっているという方の日記のページで、トップはこちらです。

     可愛い云々を離れ、韓国語で講座そのものに僕が感心したといえば、ついこの冬の講座になるが、金東漢先生のものを挙げたい。
     韓国ドラマを観る人は、そこに出てくるたとえやことわざの面白さに気づいていると思うが、題して「ことわざで学ぶ日常会話」。いずれ再放送になるはずなので、韓国語を勉強中、という人はぜひ聴いてみてください。題材もさることながら、ダイアログがほんとに優れているようだ。ようだ、というのは、どんな語学講座でも、勉強する人はダイアログを音読してみると思うのだが、この講座のダイアログ、何度か音読してみると、その後の頭のなかの残り方が全然違う。同じように音読しても、他の講座より結果的に何倍も残っている。だからダイアログがすばらしい、と思うのだが、その理由は、と訊かれると、少し困る。
     元々僕は音やことばにたいして、聴いたまま発音できる、つまり意味は判らなくても所謂シャドウイングだけならできるとか、音自体がそのまま音として記憶されるような感じがじつはある。小説を書いていても、会話の部分はまず具体的にくっきり音として耳に聞こえてくるから、その聞こえてきた音の感じを口調や声の色合いなどもふくめ上手くことばで描写しようとしながらセリフを書いているだけ、のようなところがある。
     ここにこれまで書いてきたことも、なにもテープを聴いて考えたわけではなく、思い出すと西垣知佳子先生や杉山利恵子先生の声が、ちょうどテープをプレイバックしたように、頭のなかにくっきり聞こえてくる。その声を聴きながら、こういえばいいかな、こんな感じかな、とことばに置きかえてきたわけだ。だから頭のなかの音の残り方、というのは実感として僕には比較がつく。つまり根拠はまず実感なので、それを論理的に捉え直して具体的な理由を挙げて説明しろ、といわれると、やや難しい。
     難しいが、金東漢先生の講座のダイアログの何がいいのかをひとことでいえ、といわれれば、つまるところ、それは金東漢先生の感覚がいい、ということになる…。
     どこにこだわっているか、というとやや語弊があるかもしれないが、力点の置き方、力の入り方が、いわば自ずと、こういう結果をもたらしているように思える。
     具体的にはまず、それは、たとえばあのダイアログが題材や内容もさることながら読んだ時の調子の良さ、リズムをとても重視して作られていたものだったからだろう。単純に読んでみても、こんなに調子のいいダイアログはこれまでの韓国語講座のなかではなかったと思う人もあるいは多いのではないか。それはまたスキット、セリフとしてのよさ、ということでもあり、金東漢先生がこのダイアログをたいへん生き生きしたものにしたい、と力を傾けたからだろう。実際講座中で先生はある回の自分の書いたダイアログについて「韓国の小さい女の子が怒ると、ほんとにこんな感じなんですよね」としみじみおっしゃっていたこともある。ほんとうにダイアログを聞いているだけで、根が単純な人柄の僕など毎週大笑いをしていたのだが、ある時先生「はい、笑ってばかりではいけませんよ、ちゃんと勉強もしてください」とおっしゃった。やっぱり、この人は確信犯、最初から笑わせる気だったのだ! まさに僕は思うツボ!
     国際電話カードの宣伝のナレーションなどをする、ちょっとヘンな韓国人かと思っていたら、さに非ず。金東漢、恐るべし、である。


    タレント川原みなみさん
    のページ
    みなみちんのおうち

    をご参照下さい。
    写真のありかは判りにくいと思いますが、こんな感じで↓↓探してみてください


     

     
    向かって右がシンミンさん.


    © yuichi hiranaka : iHIRANAKA
    du huit avril au cinq Juillet 2004


    cover火の娘たち
    ジェラール・ド・ネルヴァル/著

    ¥1.365 ちくま文庫 ; ISBN: 4480038515

  • Online shopping ネット上で注文---[楽天ブックス]

    ドビュッシーなら、たとえば、こちら。

    coverペレアスとメリザンド
    カラヤン cond.
    ¥4.500
    クラシックファンには、作曲家と同じ国籍の演奏家による録音が最高であるという、恐ろしいまでに強力な思いこみがありますが(笑)カラヤン(=オーストリア人=独墺系)のドビュッシー(=フランス人)はすばらしい。カラヤンの、特に古い録音のラテン系の音楽には独特の魅力があります。(逆に、カラヤンのブラームス(=ドイツ人=独墺系)は、僕は基本的には買いません。ついでにチャイコもね、うーん、どうしてみんなカラヤンの録音がそれほど好きなのか…。まぁ、僕は論争は好みませぬが)
  • Online shopping ネット上で注文---[Amazon.co.jp] 送料無料 shipping free

    フォレなら、たとえば、こちら。

    coverレクィエム
    ヘルヴェッヘ cond.

    ¥1.615
    クリュイタンス盤が有名なレクイエム。クリュイタンスにはいい録音がたくさんあって、僕も好きな指揮者ですが、この曲を聴くならこちらにしますね。でも論争は、好まないです(笑)
  • Online shopping ネット上で注文---[Amazon.co.jp] 送料無料 shipping free
  • ネルヴァル『火の娘たち』〜あとがきにかえて。

     さて、冒頭では、昨今人気のブログと関連づけて、この稿をご紹介しましたが、もちろん全体の状況の把握がきちんとなされた場合、これもまた『ポケットの中のハピネス』収録の「恋風恋歌」以来『ミラノの犬、バルセローナの猫』と、近年僕がわりと意識的に取り組んでいる、現在よくあるコラム・エッセイに見られる一般的な構成感とはかなり異なる、けれど視点を変えるとかなりしっかりしているともいえる構成感のあるピース、という流れのなかの1本であることは、改めてお断りするまでもないでしょう。
     つまり、ばらばらのことがでたらめに並べられているようで、読んでいくとふしぎなロンドのように(まぁ、よくいえば、ですね!)ひとつの主題が浮かび上がって来る、というスタイルを、web向きならこうなるかな?というところでいろいろ試してみたわけです。
     しかし具体的にはそれはどういうスタイルなのか、やや判りづらい、とおっしゃる方のために、たとえば、ということで、つまりそれはこういうスタイル、それのびっくりするほど美しい例が、このネルヴァルの『火の娘』中に収録されたたとえば「アンジェリック」であり「シルヴィ」です、とまずいってみましょう。
     えーっ、と絶句されたかもしれませんね。もちろんこれらは、現代人の僕が書いている、ロマネスクとはほど遠い、味わいに欠けるモチーフによるものとは一見似ても似つかない、すばらしいものです。時代も作家もまったく違うので、そもそもこうして並べること自体比喩的な意味合いでしかありえない、というか、結果ネルヴァルのようだと第3者に思われるようなものを書こうとしている、ということではなく、僕が目指している方向性の、ただ比喩的な説明である、と考えてもらってもいいですね…。
     逆に、僕が近来目指しているところは…などと説明せずとも、「恋風恋歌」や『犬、猫』が大好きだ、気持ちにしっくりくる、という方には、理屈抜きで、文句なく気に入ってもらえる1冊だと思います。
     このネルヴァル、プルーストが私淑していた19世紀フランスの作家で、僕も具体的な関心はそこからでたのですが、プルースト好きにはもちろん、究一郎訳はやや読みづらい、と感じる人にも平明な訳で親しみ易いはず。しかもこれまで定価1万円以上もする全集でしかなかなか手に入らないことになっていたものだから、今回の文庫は大朗報、もう即ゲット!しかないでしょう。(←済みません、味わいなくて…)
     もうひとつ、比喩的な比較を並べておくなら、僕がいちばん好きな作曲家はまぁ、おそらくドビュッシーなのですが、近年それに負けず劣らず心惹かれるように思うのが、フォレの音楽です。ちょうどそのように、プルーストと並んで心惹かれる作家がネルヴァルである、といえば、プルーストが好きな人、また音楽が好きな人には、あるいはぐっとイメージがわくかもしれませんね。
     たいへん美しい文学です。1冊でも多く、みなさんのお手元でだいじに愛されますように。

    ↓Please support our page w/ your click↓....Thank you!!


    バナーは自動的に送信されてくるため、先方のコンテンツの確認はこちらでは行っておりませんのでご留意下さい。

    [Home] [ < - prev page] [contens]

    Copyright © 2004 iHiranaka, yuichi hiranaka WorldClub. All rights reserved.