un bout d'hier 68 ~ le trente et un aout 2004
強者の論理 3
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強者の論理 3

95年の地震の後の話である。TVを見ていて、怒って電話をかけてきたヤツがいる。某文化人が行政の対応を批判していたらしいのだが――このあたりについてもほんとはあれこれ思うところはあるが、この際それは措くとして――その論旨はともかく、そこでその人物が、
「西宮みたいなブルジョアな町がですよ」といい放った、という。それでなぜ彼が怒ったか、といえば、曰く「西宮に暮らしているたくさんの女のコたちの日々を、いろいろに一生懸命に生きている彼女たちのさまざまな想いを、ブルジョア、なんてひと言で片づけられたくない!!」
 …いやはや、これも相当突飛な怒り方だとは思うけど、いいたいことは判るような気もしますね。

 美しい心が、弱い立場、弱いもののなかにしか生まれない、と思うとすれば、それはまったくのファンタジーだ。
 美しい心は、普遍的だ。悪徳はさまざまな顔をしているが、美徳は驚くほど似通っている。そして人は、あらゆる場所に美徳を見出すことに驚く。プルーストはそう書いている。
 単純にミニマリズムだとかマナー小説だと説明してしまうこともできるかもしれないが、僕は小説を書き出した最初から、わりに物質的には豊かな状況のなかに限定して、人の心を捉えようとしてきた、といっていいだろう。それはなぜか。
 この著者の境涯がこうこうであるからこういうものを書くのだろうというような、抽象力が殆んど0なレヴェルで読む人は、真面目な本を読む能力が基本的に養われていない人だから、残念だけど、むろん僕も読者としては想定していない。そもそもこの著者は自分が大した悩みもなく生きているからお気楽な子どもたちの日常ばかり描くのだ、というのは殆んど非現実的な考え方で、それほどナイーヴに、屈託なく文章を書ける人間はむしろ稀だろう。
 だいたいこの世のなか、大した悩みもなく生きている人自体がまずいないのは、まともな大人ならだれにでも判ることだ。だから、ここ、あえてそう多くを語るまでもないのだろうが、現在、人はみな安逸な生活、たとえば物質的な豊かさを追求して生きている。もしたとえば物質的に豊かな世界には美しい心がないというのなら、人は地獄に向かって一直線に生きているようなことになる。いまのこの世界の人の生き方を、基本的に否定しないとすれば、では物質的な豊かさを背景として顕れる、人の美しい心とはどういうものだろうか。まずそれを僕は考えてみたかった。そう説明してもいい。むろん先進国が先導する現在の経済的繁栄は搾取の上に成り立った偽りのものだ、という議論はできるだろう。だからといって、そこにある人の心やその動きがまったくの偽りであるとか完全に無価値であるということにはならないだろう。それは議論の混濁である。
 ともかく僕が描いていたのは当初から、外見としては一見ミもフタもない風俗小説だが、その物語の舞台、世界は、そういう目的に従って選択的に限定した、現実とは異なるかなり抽象的な世界だった。
 何を選択するかは変わっても、選択的で抽象的な世界を描く、という点で切ってとれば、その後僕が書いたもの、またこれから書くものについても、当面変わらないだろう。

・・・a suivre

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