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『真夏の夜の夢』 ★★ ここではない、何処かへ。。。
ミシェル・ファイファー/キャリスタ・フロックハート/ケヴィン・クライン/ソフィー・マルソー
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cover ミシェル・ファイファー、キャリスタ(アリー・マクビールの、ね、もちろん! ってことはどうみてもこのふたり、奥さんと主演女優ということで、デイヴィッドEケリーつながり、です。…“痩せた女好き”なのでしょうね、蛇足ですが)、ケヴィン・クライン、ソフィー・マルソー…。豪華キャストでお送りする真夏の夜の夢。シェイクスピア全喜劇中でもとりわけだれもに愛される、もっともポピュラーなこの戯曲、例によって台詞はあちこちはしょられていますが、ご存知の通りそもそもシェイクスピア作品中ではまたもっとも短い1作でもあり、大幅な省略はないように思いました。お金もちゃんとかけて現代的なエンタテインメントになっているのでは。音楽は、ヴェルディやベルリーニ、プッチーニもあったかな?? イタリアン・オペラの「ホームクラシック」が随所にかかり、歌詞の判る人、そのオペラ自体をぱっと思い浮かべられる人には、やや違和感もあるでしょう。だいいちにあまりに近代の音楽です。妖精の国と現実が渾然と調和する、この戯曲のおおらかな世界、その魅力にはややそぐわないですよね?
cover しかしさすがにシェイクスピア作品、面白かったです。シェイクスピア喜劇の映画化、ということでは、僕はいちばん面白かったのはケネス・ブラナーの「空騒ぎ」なんだけど、やはりあの映画と同種の、シェイクスピアならではの感動がここにはありました。で、それはどういう感動かというと、「なんだかよく判らないけど、なんだかいい」という、曰くいい難いヨさなんですね。そもそも「こうこうだからいい」などと簡単に説明されてしまうヨさなど底の知れているヨさであって、いつまでもふしぎと胸を去らないのは、なんともひと口には上手く説明できないヨさ――それはつまり「他に似たものがない、他のものではそこへ導いてくれることのない、類い希な、いわば見知らぬ後味=世界へ運び去ってくれる」ということで、並置して説明できるものがないから、人はその感覚を上手く説明できないのです…――そんなヨさをこそ、僕はいつも何よりも求めています。それは、作品の鑑賞者・読者としても、書き手としてもです。話は少しそれましたが、ブラナーの「空騒ぎ」など、なぜとはうまくはいえないけれど、深いところで揺さぶられる、涙のぐっとこみ上げてくる、すばらしい作品だったという印象があるので、観ていないひとはぜひどうぞ。
 オールスターの本作中で抑制のきいたなかにも特に光っていたのは、ヒポリタ役のソフィー・マルソー。この役は、役自体にかなり現代的な脚色もあったと思うのですが、そのあたりについては措くとして、劇中劇の終わりに、彼女をはじめ女優陣が目に涙を浮かべているカットが挿入されています。これは脚色ではなく、解釈の範疇に入る部分だと思うのですが、たいへん説得的で、現代的、親しみ易く、かつ気の利いた解釈ではないでしょうか。ここで現代的なclarityでもって明示されているものこそ、今日なお人々がシェイクスピアを愉しむその態度であり、シェイクスピアを好むその理由のように思えました。
 学生時代、テクストでシェイクスピアを読まされたときは、正直いってほとんど苦痛以外の何ものでもなかったけれど、こうして映画で、娯楽として愉しめば、シェイクスピアの英語がいかに美しいかということも素直に実感できますね。ちょっとテクストにあたってみようかな、などと、思わず思ってしまうほど。いや、ほんとに、ほんとに。ですからこれはまた、いま現在英文科で悪戦苦闘中、あわや落第!?というあなたにもお薦めの一作です!(こういうアドヴァイスを、かつて誰かにしてほしかった。。。)
 あと、こちらでもひとつ、僕なりの視点をあげておけば、どうして男の役者はいくつになっても主役で若い女優と共演できるのだ?(e.g.エントラップメント!)、メリルに役をやれ!!とお怒りだったフェミニストのみなさん。ここではMPの相手役(オベロンです)、ピチピチの青年ではありませんか! ついに盤面は回転(tables are turned.です。アイム・イン・ブルーでも使った表現ですが、うまく訳せてないですね。。。)しはじめたかもしれませんよ。(え?「こんなの人間の役じゃないじゃない!」って? うーむ。。)
 最後に話は再びそれますが、前述のケネス(彼もまた、このページでは特に頻出やもしれません。。)が新作として、シェイクスピア、Love's Labour's Lost(「恋の骨折り損」...っていっても一般的にはあまり知られていないかもしれませんが、あるんです、そういう戯曲が)を映画化したそうなので(しかもミュージカル仕立て!)僕はとても楽しみにしています。(2001.3.31)

[蛇足の蛇足] デイヴィッドEケリーが痩せた女好き、などといい出したのはもうひとつ、The Practiceでのヘレン役、ツイン・ピークスが懐かしい(ダナ役でしたね!)ララ・フリン・ボイルの起用が念頭にあったからです。これはこの番組にひとり綺麗どころがほしい、ということであとから加えられた検事の役なのですが、ほんっとに痩せてますよね、このひと。ごぞんじの方も多いでしょうが、これは彼がアリーと裏表でつくっている、いわばアリーから笑いをぬいたシリアスな「裏アリー・マクビール」とでもいえる法廷ドラマで、アリーが一切仕事をしていない(法廷に立たない)週でもまじめに裁判をやっています(笑)。舞台も同じボストン、同じ裁判所、ということで、第1シーズンにはこのふたつのクロスオーヴァー・エピソードまであったというのは有名な話(フィッシュ・ケイジが殺人事件をThe Practiceの主人公・ボビー・ダネル弁護士に依頼にきて、 なんとボビーとアリーが恋に落ちるというもの。仮面ライダー1号2号登場、あるいはウルトラマン・ウルトラセヴン夢の共演、ないしはフラニーとゾーイーにシーモア登場!みたいなことで、僕のめちゃくちゃ“弱い”展開です!)。ことに第2シーズンは、裏表でこのふたつを見ているとまさにパラレルに進行していて面白かったです。The Practiceでのヒロインはボビーの恋人の同じく弁護士・リンジーになるかもしれませんが、事実上アリーに対応していたのは上述のララ・フリン・ボイル演じるところのヘレンで、第2シーズン特に後半、恋愛がテーマのアリー・マクビールでアリーが真実の愛の観念を見失い混乱するのと同時に、善悪がテーマのThe Practiceでは検事のヘレンが、正義の観念について完全な混乱に陥り、ほとんど正気を失ってしまいます。このふたつを裏表で見ていた僕には、アリーに対応しているのがヘレンだということは説明不要なほど明白でしたし、アリーだけ見ていればコメディにしてやや暗いな、という程度だったかもしれないあのシーズンの終盤の展開が、ヘレンとの合わせ鏡で、ほとんどぞっとするほどの恐さ、錯乱と感じられました。またディヴィッドEケリーがまさに双子のようにこのふたつのドラマを同時に書いているのが手に取るように判りました。本来べつの話のはずなのに、お互いがお互いに影響を与えていってたんですよね。そういう相乗効果と、作家性が伝わるおもしろさもあって、このふたつのドラマにとても注目していたのですが、やはりあの極度の緊張がいつまでも続くはずもなく、どちらも第3シーズン以降は精彩を欠いたように感じられます。けれど、それはむしろ、あの第2シーズンの終盤が異様にものすごかった、ということだと思うし、あそこがこのふたつの双子ドラマ・シリーズの特筆すべきピーク、頂点だったのだろう、と思っています。ついでに、Practiceをご覧になってない方のために書いておくと、Practiceに登場したアリーに初対面のヘレンがかけたことばはたしか、「そんな短いスカートいったいどこへ行ったら売ってるの?」みたいなやつで、それにたいするアリーの返事は「あーら、いまに流行るわよ。だって私が履いてるもの!」みたいなことだったと思います。(2001.4.11)

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