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 チャンドラーという作家の人生の、家庭生活というアスペクトを考える時、チャンドラー読者の頭に最初に浮かぶ登場人物はもちろん、愛妻・シシー。そしてその次は愛猫・タキかもしれない。人ではないが、まずこの後者、タキ――これはギリシア風?の名前、などとというわけではなく、ほんとうは“たけ”という日本の名であったものをだれも発音できずタキとなったということだ…夜ふけに独り、タイプライターに向かう作家は、原稿用紙やゲラ刷りの上に座り込む、この優雅な夜の仲間を秘書とも呼んだという。大きな黒いこのペルシャ猫はまた長生きであったことでも知られ、30年代からチャンドラーに飼われていたらしい彼女がその寿命を終えたのは1950年のことで、20年近くも生きたことになるから、猫としてはこれは稀なことだろう。
 そんな猫に死なれることがどういうことか、判らないのは猫に死なれたことのない人だけである。そしてこの1950年は、他ならぬ『長いお別れ』の初稿が脱稿される前年にあたる。
 さらに猫に死なれたことのない人たちのためにいえば、この長篇がアメリカで出版された1954年、もう12月になってからのことだが、シシーがこの世を去ってもいる。家族を失った経験のあるひとなら多いだろうし、猫とは違い、人であれば、かけがえのないだいじなだれかを喪うことは、大半が早晩経験するだろう…。
 ずいぶん年の離れたシシーを妻としたチャンドラーは、母親と結婚したようなものともいわれるが、実際には、彼女は20は若く見えるとまでいわれた美しい女性で、新婚当初はずいぶん幸せだったようだ。その後、会社勤めの若い頃など当然のごとく若い女にも走るわけだが、後年、年齢差のぶん早く老い衰える彼女への献身はほんとうで、特にこの頃はもう誘惑の多いハリウッドの映画業界からも身を引き、自宅の書斎にこもりただひたすらタイプライターに向かっていたのだから、この名作に取り組んでいた時、チャンドラーはその傍らで、ただひとつ同時に、死の床にいる妻をひたすら看病してもいたわけだ。
 思えば、そもそも年の離れていたシシーとの結婚が遅れたのだって、女手ひとつで育ててくれた母親を看取ったあとまで待ったから、ということもある。なんともいいがたい、巡り合わせというか、要所要所において愛するひとに死に別れられる、というのはチャンドラーの人生を特徴づける、あるいはひとつのファクターかもしれない…。
 ――蛇足ながら、このあたり正確には、これもチャンドラリアンには常識で恐縮だが、チャンドラーにはマクシェインの著したたいへんすばらしい評伝があって、この本はその伝記的事実だけでなく、実際に小説を書くことについてのチャンドラーの卓見にも満ちており、小説を書く者から見てもどのページも無視できない。チャンドラーへの興味の有無にかかわらず、必読の1冊だろう。

『長いお別れ』中のこの名文句を、チャンドラーがコール・ポーターの『Every time we say goodbye』を念頭に書いたのは確かだ。けれどまた、もしその1行を単に気の利いたセリフで埋めたかっただけであれば、ただその歌詞を、そのまま引用してもあるいはよかったかもしれない。
 というか、そんなこと以前にこのセリフを書いた時のこの作家の人生の局面を知るなら、それも彼のような作家が――厳しいというか皮肉というか、相対的に自分自身をも突き放す、そう、要はハードボイルドな視点を誇る、ということでは後にも先にも並ぶ者のない作家なのだから――たとえちらりとでも、考えなかったとは考えられない。
 a little ではない、即ち、ほんとうの死のことを。
 Every time we say goodbye, I die a little.――では、実際に死ぬことは、と。
 冗談まじりにでも、たとえば、To die is to say a Big goodbye.…くらいのことを。
 この長篇の執筆時の彼にとってはとりわけ、dieという語はそう軽々しくは、そう無神経には、使える3文字ではなかっただろう。チャンドラーの頭の中にあったのは、僅かのあいだの別れなどではなく、むしろ永久の別れであったに違いない。
 それを、ストレート・フィクションを常に構想しながらもついに果たすことのなかったチャンドラーは、ハードボイルドというジャンル・ライティングの枠組みを破壊することのないよう、ただ、粋にそう書いたのである。あるいは高校の頃の僕がそうだったように、単なる気の利いた、軽佻浮薄のひとことに読まれて読み飛ばすこともできうるような、一見、小洒落た一文として。
 そう書いた、彼の思いはいかばかりのものだっただろう。
 死。思えば、それこそが、The Long Goodbye長いお別れであり、Big Sleep大いなる眠りであり、つまり、この作家の終生の主題でもあった。
 こう読めば、なるほど、これはほんとうの名文句というか、チャンドラーを代表するといっていい、非常にだいじな、重みのある一文だろう…。
 そこで、僕は僕のハードボイルド小説である『アイム・イン・ブルー』の扉に――それは僕のレイモンド・チャンドラー氏へのアンサー・ソング、チャンドラー作品へのオマージュ、ということにほかならない。ハードボイルド、という語は僕にとってレイモンド・チャンドラーとイコールなのだから。ちょうどボサノヴァがジョアン・ジルベルトの同義語でしか僕にはないのとおなじように…――エピグラムとしてこのことばを、僕なりの訳で、というか、プレーンに、こう記しておいた :
 さよならをいうことは、少し死ぬということだ。

 どうでしょう?
 それがどれくらい名文句かといえば、たとえば、積年の愛を培った、心から愛するひとに、ついに
「ごめんなさい。あなたとはもうこれ以上お付き合いできないわ」
 などと、しれっといわれた日には、 「なにぉーっ! お前なぁ、さよならということはなぁ、少し死ぬということなんだぞっっ!」
 と思わず叫んでみたくなるくらいの、ものすごい説得力ではありませんか?
 ――ああ、もしそれで判ってもらえるものならば!…

(c) 2002 yuichi hiranaka  

チャンドラーは、読みましょう。

cover

The Long Goodbye
Raymond Chandler/著
¥1,311 Random House Inc ; ISBN: 0394757688
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長いお別れ
レイモンド ・ チャンドラー/著
¥882 早川書房 ; ISBN: 4150704511
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