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W e b 特 別 寄 稿
Best buy Chopin on recordings....


『僕とみづきとせつない宇宙』(河出書房新社刊)を書きながら、僕はピアノ音楽ばかりを聴いていた。読んでいただければお気づきかもしれないが、最初はドビュッシーが中心だった。とくに聴いたのは『ピアノとオーケストラのためのファンタジー』という初期の作品、マルティノン指揮のものだったが、これはドビュッシーの書いた唯一のピアノ・コンチェルトといっていい体裁を持つもので、あまり有名ではないかもしれないが、古典的形式感があるぶん聴き易いといってもいい美しい佳曲なので、ぜひ聴いてみて下さい。他にもいろいろ聴いたけれど、ドビュッシーというのはそもそも僕のAll time best、いつでも聴きたい大好きな作曲家だし、奏者の好みについても簡単で、とてもはっきりしている。録音は古いがいちばん好きなのはギーゼキングの演奏、ついで美しいというよりもその考え抜かれた造形と表現力にいつも感心するベロフの演奏、そしてそれとは全く逆に、極限まで美しく整った音の限定なかで、一種啓示的な、この世のものとも思われない美を架構するミケランジェリの演奏…これくらいあればもうじゅうぶん。あと、仲道郁代さんによるドビュッシーの演奏は「そうそう、そうなんだよね! 楽譜にはそう書いてあるよねぇ!」と僕はいつも思って、個人的にはとても共感が持てる。
 ところが、これも『僕とみづきとせつない宇宙』作品中にはっきりあらわれているとおり、執筆後半になって僕は小説にあわせ、ショパンばかりを聴き始めた。
 ショパンの音楽は、そのメロディアスさと親しみやすさで、子どもの頃にはもちろん僕もたいへん好んだものだけど、それが10代にはいると、その女性的な情緒や感傷的なところがだんだん耳につきはじめた。いわばその反動で僕はドビュッシー好きになった、といってもいいかもしれない。
みづき画像 みづきという女のコは、僕が自分の心の奥にしまいこんできた無垢 な、vulnerableな、いわば弱い子どもの心の象徴だった。だからみづきがショパンを好き、というのはじつは僕にとってはとても自然なことだったのだ。そのみづきという人物のことを考える、ということは、ショパンが単純に(みづきのように!)好きだった自分の心を思い出す、という作業でもあった。そんなこんなで僕はこの間ずいぶん積極的に、広汎にショパンのレコーディングを聴き、その結果、ショパンについても、はっきりとした自分の趣味嗜好を持つようになった。けれどこれはドビュッシーのように簡単にはいかない。簡単にショパンならこのアーティストの演奏が好きです、ということは難しい。ひとつには、録音自体がドビュッシー以上に多いからで、その全体を見渡すためにはたいへんな時間と労力、さらには投資も必要となる。音楽家や音楽評論家でもないのにショパンをこれほどintensiveに聴いている人は、おそらくショパン・マニアくらいのものだろう(まぁ、そういう人がいたとして)。そこでせっかくだから、 ここでは『僕とみづきとせつない宇宙』を読んでもう一度、あるいははじめてショパンが聴いてみたくなった!というひとのために、レコードでショパンを楽しむために、僕が今現在得ることのできた、録音でみるショパン演奏に関する定見を、ごくプラクティカルに「どのCDを買うべきか??」というかたちで紹介してみることにした。なお、印はお薦めの度合い、★★★★をフルマークとし、付きは、僕の本が好きなひとにはぜひいちど聴いていただきたい、僕の格別の愛着を表します。

 ルービンシュタイン全録音 ★★★★ まずはオーソドックスなところから。じつは子ども時代、僕も意識的にはこの奏者あたりからショパン演奏に親しんだのだが、たいへんスタンダードな演奏で、その録音はすべてを聴くに値する。比較において男性的な演奏といってもよく、感傷性もほどほどだ。ショパン演奏においてつねに問題になるルバート(あまり厳密な説明ではないけど、アーティキュレイションにともなうテンポの揺れ、と思って下さい)もとても常識的で、規範となりうる演奏だと思う、やっぱり。ちなみに子どもの頃僕が聴いたのはノクターンやポロネーズだったが、スケルツォやバラードも『みづき』執筆中は好んで聴いた。
 ホロヴィッツ 全録音 ★★★★ これもすべて聴くに値する。ルービンシュタインの演奏が規範的であるなら、こちらはすべてのショパン演奏者にとっての《夢》のような演奏。ショパンの楽譜にたしかに書いてあるが、ホロヴィッツ以外にはだれも浮かびあがらせることのできない音楽がここにはある。こういう演奏を面白い演奏というのであって、このホロヴィッツのまえには「コンサート・ホールの暴走族」=ブーニンなんかがいかにメカニックな正確さを保ちながらテンポをフレーズ単位で曲芸的にすいすいとシフトチェンジしてみせたって、面白くもなんともない。録音数が膨大だから、どれを聴くか、というのは難しいが、古いモノラル録音だけれど、僕はRCAでの録音はほとんど持っていて、いまでもよく聴く。
 アシュケナージ 全録音 ★★★★ じつは僕がショパンを嫌いになったのはアシュケナージのショパンを聴きすぎたからではないか、と思う。彼の演奏はたいへんに知的ではあるけれど、彼のなかにある音楽に決して逆らうことがない、という印象がある。たとえばルバートやダイナミクスも考え抜かれたものではあるが、決して抑制され過ぎるという感じはない。結果として彼の演奏はショパンのほんらい持つ感傷性、センチメンタリズムを素直に伝えるものとなっている。さらに彼の音は独特で、きゃしゃといってはちがうかもしれないが、高音域のピアニッシモはモネを思わせる暖かい色彩を持つほんとにデリケートな音でありながら、低音でのフォルテシモは暗く、カミソリのように鋭く、ズバン、と鳴る。その結果、彼のショパンは、ショパンの音楽の持つ憂鬱さ、メランコリズムをどうもさらに強調するようなところがある。聴いていてだんだん疲れるし、沈んだ鬱々とした気持ちになったりもする。では、なぜ全演奏★★★★なのかといえば、それでもやっぱりアシュケナージのショパンには唯一無二の魅力がある、と今回大人になってショパンの録音を広汎に聴いてみてあらためて思ったからだ。たとえばバラードの1番。出だしのラルゴからして、スーパー遅い。全体にいちばん遅く聴こえるツィマーマン の演奏よりも、じつはさらに遅い。ということは、ツィマーマンにくらべて速いところはめちゃくちゃ速い、ということになる。ここでは何小節目、という書き方はしないので漠然としてしまうが、遅く、暗く、メランコリックに、鬱々と進んで行く(でも美しいのだけど)演奏が、速いパッセージに入って爆発する、この開放感は、アシュケナージ以外のだれの演奏からも得ることはできない。かえって大きなコントラストを作り出すからだ。スペース感、と僕は呼びたいのだが、アシュケナージ以上にスペース感、広がり感というか、空間を伝えてくれるショパン演奏は他にはない、と僕は思う。おなじことはノクターンでも明瞭で、例の仄暗い低音に支えられながら、ほとんどべつの楽器のようにきらめく高音の8分音符の醸し出すドリーミィさは、夢幻的な宇宙の広がり、奇蹟のような、比類ない美しさを湛えている。断固全録音★★★★。とくにバラード全曲ノクターン全曲、さらには小品、子守歌や僕が愛してやまないバルカロール(舟歌)、これらは★★★★なので、僕の本を好んで読んで下さる方には、ぜひともいちど聴いてほしい。

 アルゲリッチ スケルツオ2番、3番 ★★★★ といったようなアシュケナージのショパンの独自の美質を理解できたのは、もちろん僕が今回ショパンをあれこれじっくりと聴いてみたからで、じっくり聴いてみたのは、あれ、ショパンて僕が思ってるのとはちょっとちがうかも、と最初素朴に思ったからだ。で、そう思えたのは、ラヴェルを聴きたくて買ったアルゲリッチのアルバムにはいっていたスケルツォを聴いたからだ。僕が苦手だった例のショパンの感傷性やメランコリズムがまるで問題にならない演奏だったのだ。それは、アルゲリッチにおいては、ショパンのそういう面よりも、彼女自身のパッションやマジカルな音楽造形に圧倒されるからではないかと思う。ばかみたいだが、うわぁ、ショパンって、こんなかっこよかったっけか??と思いましたね、最初聴いた時。いろいろ聴いてみたけれど、このスケルツオ2曲に関しては(全曲でないのが残念!)けっきょくアルゲリッチのものがいちばんすばらしいと思うし、あと、幻想ポロネーズもアルゲリッチのものが★★★★です。アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ(すごいタイトルだ!)もアルゲリッチのものがいいと思う。(この曲に関しては、放送で聴いただけだがグルダの演奏も意外で面白かった!!)それから、ソナタの2番、3番もすごいと思うのだが、これはあまりにマジカルで(笑)とくに2番のあのほとんど調性の判らない終楽章の解釈に象徴的なんだけど、ここではそのアルゲリッチの資質がショパンのメランコリズムと共振しているように僕には思え、かなり聴いて疲れる演奏なので★★★かな。プレリュードについても似たような印象から僕は次にあげるポリーニのほうを選びます。
 ポリーニ  1970年代全録音 ★★★★ そういう意味でまったく疲れない演奏、というのがこちら。まず24の前奏曲Best buy。ポロネーズ全曲もすごいですが、ただ幻想ポロネーズについては先にふれたアルゲリッチのものが捨てがたい。ポリーニの演奏は、ピアノからフォルテまで均質な、硬質で透明な音で鳴らしきる、いわばもっとも男性的な演奏。ショパンに限らないけれど、おお、そこでそんなフォルテを鳴らしてあとのフオルテシモはどうするんだ??と思っていたら、きっちりそれを鳴らしてくる、みたいなところがあり、どこかに「筋肉の勝利を高らかに謳う!」と書いてあったが、本当にポリーニのピアノにはそういう印象がある。ルバートもかなり控え目で、抑制の利いた、厳しい、ストイックな演奏といっていい。センチメンタリズムやメランコリズムとはまったく無縁で、どこまでも明るく輝かしい音楽だ。僕が自分でレコードを買いはじめた頃、ピアノ奏者には巨匠としてリヒテル、ホロヴィッツ、ルービンシュタインがいて、若手にポリーニ、アルゲリッチ、アシュケナージ、という勢力図(?)があったように思う。その後者の三人のなかで子どもの僕がアシュケナージを贔屓にしたのには、野暮ったい独盤そのままのグラムフォンより、当時キング・レコードから出ていた英decca盤の日本盤のジャケットが断然かっこよかったという理由もあったのだが、もしあの時アシュケナージのエチュード全曲ではなくポリーニのエチュード全曲を買っていたらどうだったか、と思う。どちらも録音では最高のエチュードだが、この2枚、まったく質がちがう。ポリーニのものはほんとうにまいにちでも聴ける、とても健康的な音楽だ。エチュードは、ショパンの全作品のなかでも好き嫌いを越えて立派なものだし、これは聴いておこう! ただし、『僕とみづきとせつない宇宙』でいちばん重要な音楽になるエチュードの3番、つまり「別れの曲」をしみじみ聴きたい、というような話になれば、やはりポリーニの演奏は物足りない、断然アシュケナージ★★★★、だ。先に書いたアシュケナージの美質、センチメンタリズムやドリーミィな、夢幻的な昂揚感が横溢した、そういう意味では最高の演奏だから。
 1980年以降のポリーニのショパン録音についても付言しておけば、演奏の質がかなり変わっている。ポリーニ自身の音楽性からみれば、より深化している、ということになるだろう。角川書店から出した『シンプルな真実』中の「クラシック音楽早わかり」でも書いたが、ショパンに限らずロマン派前期の音楽は、個人的で無反省、とでもいうような質を持っている。ショパンで判りやすくいえば、ショパンの曲にあっては、たとえば美しいメロディーや盛り上がりが、そこで終わることはない。というのは、聴く者が「ああ、いいメロディーだな」とか「聴きどころだな」と思ったフレーズのあとには、必ずそれとおなじようなヴォリュームで、おなじ質の美しさを持った、いわば姉妹のごときフレーズがたちあらわれるのだ。そこには抑制とか構成感といったものはなく、肥大化した自意識がそのまま露呈され、結果ふつうの意味での音楽のバランスは崩れてしまう。つまり無反省なのだ。最初のほうに書いたように、僕がショパンを嫌うようになった、そのそもそもの理由、感傷性やメランコリズム、というのもじつはここに根ざすものだろう。けれどそれは、ショパンの音楽にあってはいってみれば、ああ美しいな、この美しさにまだまだ浸りたいな、と思えば、そのとおりに、たっぷり心ゆくまで浸らせてくれる、という事態が起こることをも意味するのであり、これはこれでひとつの独自の構成感、ここが逆にショパンの面白いところ、魅力でもある。前置きが長くなったが、そんな無反省な自己肯定、いわば個人性が身上であるショパンの音楽を、1980年以降のポリーニは、デビュー当時から得意だった現代曲や、たいへん評価の高かったベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタといった録音を経て、個人性を通じて獲得する普遍性、という次元の音楽として表現しようとしている、と僕はみる。もちろん概念的にはこれは妥当で、しかもショパンの音楽の個人性はあまりに深いがゆえに、そのポリーニの要求にこたえ得るものだとも思う。しかしポリーニのショパンの音は、かつてのように単純に透明だとか明るいとかいえるものではなくなり、ショパンとしては相当ルバートが少ないということのできたかつての演奏とはちがい、そこには所謂ショパン演奏上のコンヴェンショナルなルバートとはまったく異質ではあるけれど、ポリーニ独自のアゴーギクがはっきりと強調されるようになった。こう聴きなさい、この音をこそ聴きなさい、というポリーニが自らの論理から導き出した思想、というようなものの存在を強く感じる。いいわるいでなく、好みの問題として、僕には70年代のもののほうが聴き易いし魅力的、というのがbottom line。
 ミケランジェリ 10のマズルカ ★★★★ そのポリーニの(アルゲリッチもだが)の師匠筋にあたるミケランジェリ。ドビュッシーの前奏曲1巻や映像にみられるほど鮮やかではないが、どこまでも整ったクリアな音色で音楽を造るという、1970年代のポリーニの演奏の元ともなるような、これもまったく独自の演奏で一聴の価値がある。おなじディスクに収められているバラード1番、スケルツオ2番の演奏も、感傷性や情緒によりかかることなく、あくまでも絶対的な音、ソノリティに立脚したちょっと他に似たもののない、唯一無二の音楽だ。また、マズルカというのは有名な曲が少なく取っつきにくいかもしれないが、ショパンがその全生涯にわたって書き続けた曲種であり、ショパンを聴けば聴くほど、最後にはマズルカに行き着く、といっていい、そういう音楽だと思う。
 ピーター・ゼルキン 全録音 ★★★★ この息子ゼルキンの録音も、ほんとうに独自のもの。ポリーニと同じく、まったく疲れない、まいにちでも聴けるショパン。なのだが、その音楽の質はまったくちがう。まず、テンポが遅い。そしてショパンとしては考えられないくらいルバートがない。とどめにえっ!と叫びそうになるほどペダルを踏まない。そういうわけで、ポリーニと同じく、これはたいへんにストイックなショパンだ。センチメンタリズムともメランコリズムとももちろん無縁。けれどポリーニとはちがい派手さはまったくなく、透明とか厳しいというよりも、しみじみと暖かい印象がある。最初に聴くべきショパンでは決してないだろうが、録音数も少なくいまではCDとして2枚組に収められているので、ぜひどうぞ。僕は寝るまえによく聴く。心が落ち着くから。ショパンなのに!
 ピリス ノクターン全曲 ★★ モーツアルト弾きとして有名なポルトガルの女流、マリア・ジョアン・ピリスによるショパンも独自の世界を持っている。彼女自身、ショパンの音楽は感傷的というよりも夢を与える音楽だ、といっているそうだが、このノクターン、スペース感やドリーミィなかんじより、もっと哲学的というか、思索的な音楽になっていると思う。ショパン演奏のコンヴェンショナルな、耳慣れた表現、手垢のついたようなルバートを廃するという意味では、相当考え抜かれて弾かれている。けれどルバート自体はかなりとってある演奏で、それは時として、むしろ厳しさ、という印象を与えるものだ。透明というのではなくて、潔癖で、精神性の高い演奏だと思う。安直な甘美さにおぼれることのない、だからといって冷たいということではなく、推進力や構築性をかんじさせる音楽。とくに通俗的なショパン演奏に辟易しているひとには、この録音もまたお薦めしたい。抜粋盤でもいいかも。その新鮮さはよく判る選曲だろう。子どもの頃僕がいちばん好きだった有名な第8番が入っていないようなのが残念だが、これはピリスの特質がもっとも顕れた楽曲ではないから。
 リパッティ ワルツ全曲 ★★★★ こうして見てくると、ここまで僕が選んできた演奏のその選び方に共通するのは、つまりそこでいつも僕の問題となったのは、感傷性やメランコリズムという僕がショパンを苦手になった理由と思われるショパンの音楽の素因といかにしてその演奏が対峙し解決しているか、ということのようだ。その一方で、やっぱり、という形で最初にアシュケナージの演奏を強く薦めてしまったのでたしょう話は判りにくくなってしまったけれど。そういうコンテクストで見ると、これは知らぬ人のない名盤中の名盤なのだが、じつはそういうショパンのセンチメンタリズム、さらにはいうまでもなくtoo muchに華やかだったり甘美だったりする(こじんまりとして甘ったれた、という悪い意味で、サロン的な、とよく形容されるが)ショパン演奏の垢を廃する、という意味ではパイオニア的な演奏だと思う。録音の古さがどうしても気になる、というひとは、現在ではARTという方式のリミックスで、信じられないほど聴きやすい音になったものがでています。
 コルトー 全録音 ★★ これも古いです。いまいったここでの僕の選び方の共通点、という尺度では測れない、歴史的名盤。録音はひどく、ミスタッチも多いので、どなたにも、というわけにはいかないけれど、ソナタ、バラード、即興曲、どれも深く心に残る演奏です。演奏を聴く愉しみとは何か、という根本的な部分において、通常僕たちの表面にあるのとはひとつ違った次元へ導いてくれるように思います。
 フランソワ ノクターン全曲 ★★★ これもやや録音は古いけれど、ロマンティックで華やかな、コルトー、リパッティにつらなるフランスのショパン演奏のエスプリをいまに伝える名演として、フランソワの録音のなかから、とくにノクターンのディスクをあげておく。ファンタジック、という意味ではこれほどファンタジックな演奏もないでしょう。ショパン演奏のサロン音楽的側面、矮小性を、知性でというよりも、いわば「気高い」個性で乗りこえよう、という演奏です。

 というわけで、これが僕のいま現在の録音にみるショパン演奏観です。どうぞご参考に、1枚でも、ほんとうに気に入ったと思えるショパンのアルバムを見つけて下さい!2000.7.18

(c)2000 Yuichi Hiranaka / yuichi hiranaka WorldClub

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