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婦人画報社25ans連載  
『恋愛用オペラABC』


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 第1回 オペラ マイ・ベーシック original text

 もしもあなたに愛する人がいて、彼との関係が1年以上続いているとしたら。この1年、あなたは彼と何度オペラへ出かけましたか。「2、3度、ううん、もっとかな」…。うん、だったら結構。申しあげることは何もない。でもただの1度も行っていないというのなら。なんだかそれはとても勿体ない話しですね。オペラは人に、人生に与えられた、最も甘美な果実のひとつなのだから。とりわけ恋をしている人たちにとって。特別なレストランでいいシャンペインを開けること。貴石のついたしっかりとしたジュエリーのプレゼント…そんなことに負けないくらい、オペラはロマンティックなものだと思います。
 そんなオペラのお話しを、今月から少し書かせて貰うことになりました。興味のない方にも親しみ易い内容で、というつもりだけれど、まぁ、かくいう僕も、なにも昔からオペラに関心があったというわけでもなかった。クラシック音楽自体は親しかったけれど、オペラについては、それこそ太った人が出てきて不自然に唄を歌い、音楽としても、アリア等は美しくとも全体としていささか求心力に欠けるようだ。台本も、文学的にはなんだかなぁ。それにあの少女趣味な美術や衣装ときたら…などという、あんまりといえばあんまりな印象を、正直いって抱いていた。実際僕がオペラに関心を持ちはじめたのはずいぶん遅く、もう20を過ぎていた。
 これからオペラでも、と思っている方にはだから、そんな僕がどうしてオペラを観始めたのかというあたりからまずお話しするのが妥当だしフェアだと思うのだが、それはカルロス・クライバーの振った椿姫のCDをたまたま聴いたことからだった。子供の頃から僕はこのクライバーという指揮者の大ファンで、そのへんの経緯や彼の演奏がいかに素晴らしいかというお話しは、角川書店から出したエッセイ集『シンプルな真実』にも少し書いたからあまりくり返さないようにするが、とにかく、いまだに僕はこれからオペラに触れてみようかという人には椿姫、それもクライバーのものをお薦めしたいなと根強く思っているほどだ。少なくとも前に挙げたようなオペラの印象が半分以上誤解だったと気づくには、僕にはこの演奏一発で十分だった。そして、以来、オペラはとてもイイものだと思うようになったのだが…具体的には少しずつ、このページで書いていければ、と思う。
 ただ、僕は所謂オペラ・フリークスみたいなものでは全然なくて、一緒にオペラへ行きたいなぁと思う女性がいなければ、僕の日々の中にはオペラのオの字もない。オペラと恋は僕にとってあくまでも分かちがたくワン・セットみたいだ。でもこれってわりに真っ当な、オペラ本来の愉しみ方じゃないだろうか。ヨーロッパ文明の英知を結集したロマンス装置。それがオペラのエッセンス…よくも悪くもこれが僕の基本的な立場で、従って今後のこのコラムの基本、ということにもなる。
 というわけで、あまりマニア的な話題には立ち入るつもりもその準備もないけれど。それで構わなければこの僕に、このページでこれから1年、毎月あなたをオペラへエスコートさせて下さい。

(©1997 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine Jan. 1998)
ヴァンサンカン1月号(1998年)に発表。


 第2回 フェラガモvsLDプレーヤー original text

 それがオペラを観始めたきっかけだった為に、たとえ軟弱といわれようがばかといわれようが、いまだに僕は椿姫が好きだ。少し古いがジュリア・ロバーツのヒット映画『プリティ・ウーマン』の中に、オペラ、椿姫を観に行く場面があったのだが憶えているひとはいるだろうか? あの職業の女性をこの演目に連れていくとはリチャード・ギアもなんというか、さすが豪快アメリカン!ってかんじだが、オペラ・デイト、という意味では、あれはすこぶる正しいオペラの使い方だ。あの作品から学べることは、何も『シャンペインと莓』のみではないのである!
 デイトで観てこそオペラは愉しい。そう僕は思う。「だけど私の彼はオペラなんか好きじゃないわ」そうあなたはいうかもしれないが、でもそれをいうんなら、彼はダイアモンドにもさして関心ないんじゃないかな。あなたから「今度こんなオペラがあるけど行ってみたいな」と水を向けてみるといい。近頃はオペラ好きと自他ともに認める男性も多く、それぞれだろうが僕は古い質なので、男が声を大にして「オペラが好きだ!」というのはしっくりこない。女性が行きたがるからお供する、という形をやっぱり基本としておきたい。だからそれがいかに美しいひとでも、一緒に出かける女性がオペラに全く関心がないとなるとちょっぴり残念に思う。で、魅力的な女性がみんなオペラ好きだったら…と、こんなコラムを書いてるわけです。遠慮なく僕を踏み台に(笑)単なる魅力的な女性でなく、オペラの好きな魅力的な女性になって下さい。
 さて。もしあなたがこれまでオペラにあまり興味がなかったとするとその原因はなんだろう。この国にはまともなオペラハウスがないし、海外から来る公演は笑っちゃうくらい値段が張る…うん、確かにその通り。ではレーザーディスクで自宅オペラ、というのはどうだろう。今シーズン、きちんとした靴をもう一足買ったつもりでLDプレーヤーを買っちゃうのだ。(DVDという話しもあるが今のところLDの方がまだまだ演目も揃っている2004年現在、当然LDをDVDと読み替えてください)実演に勝るものはないというのはある面正論だけど、そんなことをいってるとますます敷居が高くなるし、それこそ彼をオペラへ誘う前の下調べになら、LDはもう十分以上だ。
 椿姫に話しを戻すと、去年亡くなったショルティのいいLDが出ている。ヴィオレッタはいま最も話題のソプラノ、ゲオルギュー。美しいひとだ。この上演が放映された時、イギリス全土の男性がTVに釘付けになったというT伝説Uさえ残っている。オペラ歌手の容姿への偏見なんて、彼女を観れば一掃だ。少しまじめな話しもすると、歌手には声がいい人、歌の巧い人、容姿のいい人と色々あるが、そういうことでいうと彼女のウェイトは『演技』にある。歌も含めた意味での『演技』だ。もちろんそこには美しい容姿も大きく寄与しているのだが。だからこの演奏が映像付き、LDで愉しめることは幸せだ。まぁ、小理屈はさておき、ここでの1幕、そして2幕2場。輝くばかりのその姿を見るにつけ、僕は正直、ゲオルギューにメロメロ、という感じである。僕がこれまで観た中でも極上の椿姫、四ツ星L付きとしてお薦めしたい。

(©1997 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine Feb. 1998)
ヴァンサンカン2月号(1998年)に発表。

[VIDEOガイド] web original
ゲオルギュー/ショルティの椿姫はヴィデオでも手に入ります。
値段も3,000円+taxとお買い得!

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 もはやフェラガモ、プラダなどといわずとも、予算1万円以下でも十分OKです。


 第3回 「オペラか、恋か。」full size

 椿姫の何が僕を魅了したといって、それはその構築性と流麗なカンタービレで、これはヴェルディ中期作品に共通の魅力だ。もしあなたも椿姫を好きならもう少しヴェルディ、他の作品を聴いてみるのもいい。同じく中期のトロヴァトーレは聴き易いし、リゴレットもポピュラーだ。後期になるが、アイーダも豪華な舞台で親しみ易い。
 でもヴェルディで僕が今、たとえば全曲をいちばんよく聴くのはアイーダよりも後の作、オテロみたいだ。ご存じ原作シェイクスピアの悲劇だが台詞の聞き取れない僕など映像なしで流して聴くと、ひと言でいってすごくスタイリッシュ、これほど格好いいオペラはちょっと他にない気がする。ここでヴェルディ中期の魅力は一段上の次元で止揚されている。旧来の様式の枠を超え、分かちがたく全曲が一体となった、巨大なドゥオモの如き音楽の構築。緊張と爆発。かえす波のようにその爆発と表裏となってほとばしり、流れでる叙情…。一見晦渋ではないけれど、同時代の大オペラ作家ヴァーグナーに実質一歩も引けを取らない作品だと僕は思う。
 現代最高のオテロ役はドミンゴだ。ゼッフィレッリ監督の映画版がポピュラーで(僕は貸ヴィデオ屋で借りて観た!)フレーニと並ぶ現代イタリア最高のソプラノ、リッチャレッリのデズデモーナ(監督の美意識を満たすため果敢なダイエットを行ったという)は捨てがたいが、ショートカットや変更なども多く、もしあなたが「LDを1枚だけ」というならコヴェントガーデンのライヴを薦める。モシンスキーの演出は暗いがオテロには合っているし、プラス、ドミンゴ円熟の演唱で説得的だ(在りし日のダイアナ妃の姿もボックスに…)。でも僕は、ここでクライバー指揮スカラ座のヴィデオにも触れずにはいられない。海賊盤だけにノイズが多く字幕もないので入門向きではないけれど。それでもクライバーの音楽はタイトであると同時に妖しいまでのアゴーギクで、ヴェルディの美質を伝えて余すところがない。劇場を抗議デモに囲まれながらのこの演奏、お客の野次や拍手など「うーむ、イタリア人って奴は…」的(?)臨場感も堪らない。ここでのドミンゴはまだ若く、声も大好調。デズデモーナはフレーニだ。
 僕はクライバーの大ファンで、はっきりいって偏ってます。クライバーが好き、というのは今となっては気の利いたことでもなんでもなくごく一般的な趣味だと思うが、でも逆にいえばこのクライバーという名を憶えておいて決して損はない。ロック/ポップスを含めて現在の音楽界を見渡した時、スーパースターという名が最も相応しいのが彼なのだから。とにかく仕事をしない人なので、ヨーロッパに住んでいても彼の実演を聴くのは難しい。前回の日本公演以来、舞台に立ったのは4、5回だろうか。年に0〜2回の見当だ。だから日本で演奏がある時は、絶対に行った方がお得です。と、いいながら、僕はまだいち度も彼の実演に触れたことがない。前々回、ヴィーン・フィルの時はチケットがとれず、シノーポリでほっとした。そして、前回、シュターツオーパーの日本公演は…当時僕が一緒に出かけていたひとは当然神戸のひとで「え? 会社を休んで東京でオペラ? それはちょっと無理ねぇ」とお断りされてしまったのでした。あはは。
 でも、である。かくして僕はこの先何十年も語り草になるだろうあの『ばら』を見損なったわけだが、ああ、他の子とでも行っとけばよかったとは思わないし、人生の選択として間違っていたとも思わない。クライバーといえども彼女の方がプライオリティは上…。このように、一見軟弱なようでいて僕のオペラへのスタンスは実に強固なのである。いや、本当に。

(©1997 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine Mar. 1998)
ヴァンサンカン3月号(1998年)にショートカットして発表。

[CDガイド] web original
「現代最高のオテロ役はドミンゴだ」と連載原稿では書きましたが、これはもちろん字数が許せば、本来は、
 オテロといえばデル・モナコがいまだに最高、という意見が主流を占めるだろう。しかし僕はドミンゴのオテロもけっこう好きだ。確かにデル・モナコのような輝かしい英雄オテロではないけれど、そのぶん奸計にはまり嫉妬に身悶え、ついには最愛の妻を殺してしまう、というこのとんでもない男――ちょっと荒唐無稽、といってもいいようなこの物語りに、リアリティを与え、説得的だと思う。僕はより現代的な演唱として、ドミンゴのオテロを支持したい。
 くらいのことは書きたいところです。まぁ、ここまで行間を読んで欲しい、というのはとても無理でしょうが。
 そこで、CDとしてはデル・モナコのものを挙げておきます。
 エレーデ指揮による旧録と、カラヤン指揮による新録があります。歌の面ではエレーデ盤の方が若い頃のため優れていますが、録音の良さ、そして音楽としての聴き易さ、という面でカラヤン盤をお薦めします。ご承知の通りカラヤンの音楽については評価の分かれるところですが、僕はヴェルディについては、正直いってたとえばシャイーやムーティだったら(ムーティはすごくいいところもあるけれど)むしろカラヤンの演奏を好みます。

[追記 août 2004]
上ではああ書きましたが、ここには、レコード史上に残るビッグ・ネーム、カラヤンの録音について、僕も人並みに、あれこれ思うところがあるからです。このあたりは、いつか多少しっかり書いてみたいです。ほんとはエレーデ盤も、非常にすばらしいです。これぞ古き佳きイタリアン・オペラ、という感じの躍動感・迫力を体験できる。
 ところでその後僕がミラノでドミンゴのオテロの実演を聴いたのは『ミラノの犬、バルセローナの猫』収録の長篇紀行「その時黄金の竪琴は鳴り響く…」に詳しいとおりです。その僕の観た舞台のDVD、そして僕がガレリアのなかのレコード店のファサード1面に巨大に拡大されたジャケットが張りつけられているのをしみじみ見あげた(詳しくは『ミラノの犬、バルセローナの猫』をcheck)バスティーユ盤のCDも、ここで紹介しておきます。


ムーティ cond.
スカラ座管弦楽団


チョン・ミュンファン cond.
パリ・バスティーユ歌劇場管弦楽団

表紙画像
ミラノの犬、バルセローナの猫
le chien à milan, le chat à barcelone
¥1,800+Tax 作品社刊 最新刊!

 第4回 プッチーニ、または美メロの嵐 original text

 ずっとヴェルディというわけにもいかないので(残念!)プッチーニへ行こう。ヴェルディからみれば息子の世代にあたる彼もまた、親しみ易いポピュラーな作品を数々書いているが、先ずはボエームをお薦めしたい。美しいメロディーに満ちている、というのはプッチーニの全般的な特徴だが、中でもこの作品、ちょっと妙ないい方になるがT4幕のどこを切っても均質な美に満ちているUという印象が強く僕にはあって、そう思えばこの美しさは少し異様なほどだ。とめどなく溢れ出る美メロの嵐、途切れることなく押しよせ続けるオーガズム…。いやはや、とうてい文学に携わる者の書く形容とも思えぬが、しばしこの甘美に身をゆだねてしまっては如何でしょう。
 この曲、実はクライバーのCDもちゃんとあって、いうまでもなくこれが僕のいちばんの愛聴盤になる。海賊盤にしては録音もよく、入門にもお薦めできるものなのですが…一般にはCD、LDともにフレーニのミミ、パヴァロッティのロドルフォによる盤が極めつけ、とされている(パヴァロッティとフレーニじゃ貧しい詩人と病弱なお針子には見えないぞ、という正論にはあまり誰も触れようとしない)。
 しかしここで僕が紹介したいのはストラータス/カレーラスによるLDだ。何もこのふたりの方が痩せているから、というわけではなく(それもちょっとあるけど)たとえばここでのカレーラス。むろんパヴァ氏の天国的な声には比すべくもないが、これを味わえば彼がなぜかくもご婦人方の熱愛を一身に受けるか、という理由が手にとるようによく判る。彼のセックス・アピールはあたかもしなやかな剃刀めいて、そうとは悟らせず、けれど女性の心のいちばん底へ、ぴしりと届いてしまうのだ。この秘術の如きフェロモン放射のワザの前には、さしもの残る2大テノールも顔色はない。また、ここでの彼女は美しいというにはあまりにスキニーであるにも係わらず、ミミ役のストラータスというひとは、本当にいわくいいがたい魅力を持った歌手/演技者で、僕の胸を去ることがない。さらにムゼッタのスコットだが、いまだに僕は大好きな2幕「ムゼッタのワルツ」のあたり、細かい注文はさておきトータルとして、僕の観た中で最上のムゼッタのひとつかも、とさえ思う。この部分を聴いて――オブリガートにまわったミミがアルペジオ、下から駆け上がって支えるところ! ムゼッタがスカートを捲り上げ、そしてついにマルチェッロと抱き合うところ!――躯の顫えない人と芸術についてお話しすることは、躊躇なく僕は敬遠したい。
 ところでこのボエーム。どちらかというと(僕も含め)男性に熱心なファンの多い作品のような気がする。このページではオペラを基本的に《ご婦人方のお娯しみ》と捉えてしまうことにしているのだけれど、その中にも、どちらかというと男性に好まれる演目と、女性に特に強く支持される演目というのがあるようだ。男うけするものと女うけするもの、といってもいい。では、プッチーニの中でいちばんの女うけ、女性のいちばん人気は、というと…これが女ならぬ身の僕にはかねてよりの謎なのだが、なぜかトスカで決まり、らしい。で、次回はトスカのその謎を。

(©1998 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine Apr. 1998)
ヴァンサンカン4月号(1998年)に発表。


 第5回 あなたもトスカが好きですか? original text

 僕と同じようなタイプのオペラ・ファン、つまりマニアじゃないけどオペラは好きという女のひとに「好きな演目は?」と訊くと、「〇〇でしょ、××でしょ…あとトスカ!」という答がすごくよく返ってくる気がするけど思い過ごしだろうか。確かにプッチーニ一流の美しいメロディと彼の作品中でもとりわけ劇的な音楽を持つ、魅力的な作品だ。けれどどうしてみんな、女のひとはそんなにアレが好きなのか、とも僕は思う。女のひとが、ですよ。たとえば2幕。あれほどリアルに残酷な場面はオペラでは珍しい。なのに実際、それこそふたりきりの部屋、ゆったりワインでも飲みながらヴィデオでトスカを観ていると、アリア『恋に生き、歌に生き』のあたりまで来ると女性はもう、完全にその世界、すっぽりハマっている、出来上がって(?)いる風情…ということもままある気がする。(ジャケットはゲオルギュー+アラーニャ盤。いま買うなら、これかもね:追記 août 2004)
 …ご存じの通り、悪漢スカルピアに拷問される恋人の悲鳴をさんざん聞かされ、我慢できなくなって、命を狙われている彼の友人の居場所を告白させられてしまう歌姫トスカ。「何も話さなかっただろうね」という恋人に「ええ」と応えるものの、その嘘をスカルピアに暴かれ恋人に罵られ、さらには処刑場へ引き立てられた彼の命と引きかえに、ついにその憎っくき悪漢にからだを委ねる、といわされてしまう…。「神はこの世に様々な美酒を作った。私はそれをみんな味わってみたいのだ」などとしたり顔でいう卑劣な男の胸に、である。「手荒な征服は、甘い同意よりも味わいがある。その驕慢なまなざしが愛に悶えて苦しむさまを見てやる。恋人への愛のために、私の快楽に屈するがいい!」…いやはや、すごい。「卑劣よ、汚らわしいわ!」「それがどうしました? 怒りに顫え、愛で悶えるがいい!」「私を憎むそのまなざしが、私の欲望をさらにかき立てたのだ」…書いてるだけで、恐い。どうして心優しき女性があんな残酷な場面に魅せられてしまうのか、全く理解に苦しむところだ。そしてさらに気になるのは、そんな時、彼女達の僕を見る目が恋人・カヴァラドッシに対するものでなく、どちらかというとスカルピアを見る目つきのように思えるのは、単に僕の被害妄想だろうか。「ちょっと待ってよ、君がトスカになりきるのはいいけれど、どうして僕が!?」といいたいところである。女心という奴は、いつも巨大な?マークだ…そう思いつつ、静かにリオハのグラスを傾ける僕である。
 さて。映像としてはカバイヴァンスカによるトスカ、ドミンゴとの映画版かパヴァロッティとの舞台版が手に入りやすく一般的だと思う。しかし迫力という面でいえば、とっておきの1枚がある。マルフィターノ盤だ。ライモンディの激しいスカルピアは、貴族的というより殆んどT恐い人Uだがまぁそれもマルフィターノ白熱の演唱とともに、この盤の異常なまでの迫力に大きく寄与していることは間違いない。とにかく、物凄いトスカです。
 ? 迫力は欲しいけど、あの盤では恐すぎる? うーん。となると、2幕部分しか映像は残されてないが、かのディーヴァにご登場いただく他はない。マリア・カラスだ。
 というわけで、次回はカラスを!

(©1998 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine May. 1998)
ヴァンサンカン5月号(1998年)に発表。


 第6回 カラスと基準(スタンダード) original text

(©1998 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine june. 1998)
ヴァンサンカン6月号(1998年)に発表。


 第7回 松たか子はT運命の女Uか? original text

(©1998 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine july. 1998)
ヴァンサンカン7月号(1998年)に発表。


 第8回 シンデレラたちが美しい理由(わけ) original text

(©1998 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine aug. 1998)
ヴァンサンカン8月号(1998年)に発表。


 第9回 ハッピーエンドへの最短距離 original text

(©1998 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine sep. 1998)
ヴァンサンカン9月号(1998年)に発表。


 第10回 夏の終わりの涼しい(?)オペラ original text

この雑誌をあなたが読んでいる今は夏も終わりの頃だろうが、僕はなぜか夏になるとR・シュトラウスを聴きたくなる。たまたまレコード店でマルフィターノによる『サロメ』の新盤を発見したので、そしてまた素晴らしい1枚だったので、今月はこれをご紹介。ご存じワイルドの戯曲による世紀末的物語――地下牢に幽閉された預言者に恋して手ひどく拒絶された王女・サロメは、義父である王の好色な懇願に応じ有名な『七つのベールの踊り』を舞ってみせる。しかしその褒美に彼女が所望したのはなんと、預言者の生首だった!…というなんともはやおどろおどろしい内容だから、あまりこのページにはそぐわない演目かもしれないが、ホラー・オペラ(?)と考えて、夏の終わりの暑気払いに如何でしょう。それにこの連載をやってしみじみ判ったが、オペラのLDは見つけたら即買わないと後では殆んど手に入らない。このあたり、各レコード会社には猛省を促したいところだ。優れたオペラ映像は文化的財産だから仮にも文化から収益を得ようと思うなら、採算がとれないというのは廃盤の正当な理由にはならない。文化的豊かさがより大きければそこから生まれる収益もより大きくなるのであり、名盤の廃盤は自らの首を絞めることでしかない。その程度の道理も無視せざるを得ないというならそれは文化的焼き畑、文化的ハイエナの謗りを免れ得ない。
 本当は『サロメ』は他にもストラータス盤ユーイング盤そしてマルフィターノの旧盤と、名盤ぞろいなのだが、案の定、後の2者は入手困難みたいだ。ちなみにこのページでも以前ストラータスは『ボエーム』、マルフィターノは『トスカ』で触れたが、この3人はLDファンにはお馴染みの3大曲者ソプラノ(?)で、歌だけだとそれほどでもないが(失礼!)映像は必見の歌手達だ。その3人が揃って取り組んでいる事実は逆に『サロメ』の魅力を証明しているようにも思う。判り易いことをいえばやはり『七つのベールの踊り』で、基本的にこの踊り、ストリップティーズと理解されている。ユーイングとマルフィターノ旧盤はそこで代役なしに本当に最後まで脱いでしまうという過激なものだったが(ただし後者はぼかし入り)新盤のマルフィターノはさすがにそこはぐっと抑え、七枚のベールを使った踊り、という解釈をとっている。女性の皆さんのみならず、僕にとってもこれは実に歓迎すべきことである。いや、本当に(笑)。この方が新鮮かつソフィスティケイトされた演出だし、むしろR・シュトラウスの音楽の官能美を際立たせている。これには指揮者の功績も大だろう。旧盤のシノーポリも知的が看板の指揮者だが、今回、僕は新盤のドホナーニの音楽に軍配を揚げたい。澱を拭い去ったように明晰で透徹した演奏だ。サロメが預言者をかき口説く場面や、最後、生首を抱いての(!)サロメの長大な歌等々、恐ろしいと同時になんと美しいことか! 後にR・シュトラウスが書き始めるもっと愉しい、25ans向き(?)のオペラとも全く共通の音楽上の美質が、既にここにあることがはっきり判る。
 そう、R・シュトラウスはもっと愉しいオペラだっていっぱい書いているんです! 今回はなんだか恐いお話になったけど、次回はそんな彼の愉しい作品を。

(©1998 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine Oct. 1998)
ヴァンサンカン10月号(1998年)に発表。


 第11回 大人の女性の魅力のすべて original text

 前回LDの廃盤に関して苦言を呈したら、入稿直後、ユーイングの『サロメ』が再プレスされるのを知った。偉いぞ、パイオニアLDC! 次はアバドの『エレクトラ』やドミンゴの『ローエングリン』なんかをぜひ!!…と切なる願いを叫んだ上で、お約束通り、今月はR・シュトラウスの愉しいオペラを。
 R・シュトラウスであなたにまず観てほしいものというと、なんといっても『ばらの騎士』だ。映像も素晴らしいものが多くある。なかでも僕のお薦めは当然クライバーによる新旧ふたつのディスク、ということになる。そのふたつのうちでは、と訊かれると難しいが、初めての方には僕は新盤をお薦めしたい。R・シュトラウスのオーケストレイションはたいへんに精緻で、再現するには針の目を通すような精度が要求される。僅かに狂っただけでも僕ら一般人にはそれが本来どんな音楽か、チンプンカンプンになっちゃうのだ。クライバーのこの新旧の録音を聴き較べると、新盤のヴィーン・フィルがいかにずば抜けたオケであるか、素人にもしみじみ判る。歌手陣もカンカン役のフォン・オッターをはじめ皆お人形のように美しく、また歌も緻密だ。全体として高い地点でバランスのとれたTクールな舞台Uといっていいだろう。では旧盤はというと、これも捨てがたい。若きクライバーの爆発的な音楽、今は亡きポップの見事なゾフィー、そしてなんといってもギネス・ジョーンズの侯爵夫人=マルシャリン! 演出の細かい違いもあり、旧盤の最終幕、遂にマルシャリンが登場するあの場面、彼女は本当に美しい! 文字通り、きらきらときらめいて見えるほどだ。映像からでもマルシャリンが現れた瞬間、舞台上の空気の色が一瞬にして変わるのがみてとれる。もちろんそれはR・シュトラウスが全力を尽くし、音楽の力でこの場面にそんなT超常現象Uを起こそうとしているからだ。さらにそれに続く、年下の恋人・カンカンへ誇り高くゾフィーを差し向ける場面、あの胸締めつけられる3重唱。新盤、ロットのリート的精密な歌唱も素晴らしいが、観るたび、聴くたび、不覚にも、僕は毎回泣いてしまう。そして全員が去った無人の舞台に、静かに幕は下りる…。
あなたの恋人が普通に恋を重ねてきた男性なら、きっと彼も10代の終わり頃、いち度は年上の女性に宿命的に恋をして、致命的に傷ついたことがあるはずだ。あなたには話さないだろうけど。どうしてあれほど彼女を好きだったのか。どうしてあれほど彼女は魅力的だったのか。マルシャリンはいつも僕らに切々と甦らせる。拙いあの日のあの恋を。若い男性にとって、年上の女性の魅力とはなんなのか――その答の全部がここにある。全オペラ中、マルシャリンは僕の最も愛してやまないヒロインで、そしてその想いは決して僕だけのものではないだろう。
 以前書いた通りオペラにはより女性に好まれる演目とより男性に好まれる演目があるのではと思うが、ゴージャスでロマンティックな『ばらの騎士』は一般的には女性好みのオペラといえるだろう。でもこういう面からみてみると、男性にとってなかなか胸迫る作品でもある。そこでこの際、対比的にもう1作、R・シュトラウス作品中、これは純粋に女性向き、女のひとにこそ愉しんでほしいオペラとして、次回は『アラベラ』を推薦したい。

(©1998 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine Nov. 1998)
ヴァンサンカン11月号(1998年)に発表。


 第12回 25ansを過ぎても original text

 自分でいうのも妙だがどうも僕はR・シュトラウスがそうとう好きらしい。小説家としてはすごく変わってるんだと思うけど、たとえば長篇小説の構成を考えるとき、イメージするのはいつもR・シュトラウスの交響詩…というくらい。そんなわけでR・シュトラウス作品からもう1作、『アラベラ』を紹介させてほしい。以前書いた通りオペラにはより女性に好まれる演目とより男性に好まれる演目があるのでは、と思うが、全R・シュトラウス作品中これこそ純粋に女性向き、女のひとにこそ愉しんでほしいと思うオペラだから。
 映像だと昨年でたキリ・テ・カナワ主演のLDが手に入り易いのでは。指揮はドイツ期待の新星ティーレマン。マイルド(?)なレヴァイン指揮のメトに馴れた僕らには「え、これがメト?」と驚くほど見事な音楽をつくっている。親しみ易い聴きどころは、1幕アラベラとズデンカの『赤い糸で結ばれた方が〜』(シュトラウス得意の女声2重唱――ズデンカはアラベラの妹だが経済的な理由で男の子として育てられている、というめちゃくちゃなお話です。この娘、姉思いの本当に健気な娘。ブルネットのマクローリンが演じているこの盤ではもう、特に。ちょっと恐いとこもあるけれど…)、それからエンディング、失意の婚約者の前に階段の上からしずしずとアラベラが降りてくる場面! ここの音楽は筆舌に尽くしがたい美と陶酔に満ちたシュトラウス・マジックの極致で、シュトラウス好きならずともうっとりすること請け合いだ。また2幕、パーティ・シーンも見逃せない。婚約の決まったアラベラは恋人たちをひとりずつ呼んで最後のワルツを踊ってあげながら順番に別れを告げていくのだが、女性からみればなかなか痛快、ちょっと1度はやってみたい、くらいの名場面だろう。ミリは注目のコロラトゥーラ、デッシー。光に溢れたこのパーティ・シーン、キリもとても美しい!
 ところで、女性に年齢の話は不躾だが、このキリや、そしてギネス・ジョーンズ、その他このページで僕がその美しさを口を極めて褒めそやしてきたプリマ・ドンナたちの年齢をご存じだろうか? ヴァンサンカンの読者には20代後半の方も多いかと思うが、その年代の女性にとってT年齢Uというのはあるいは重い問題かもしれない。実はこれは前回とりあげた『ばらの騎士』の大きなモチーフでもある。ヒロイン・マルシャリンは若さが失われて行くことを恐れている。若い恋人・カンカンは「真夜中に起きて部屋中の時計を止めてしまう」というそんな彼女の切ない心を、「今日か、明日か、いつかあなたの恋は冷めてしまう」という彼女の哀しみを理解できない。それどころか、愛してないからそんなことをいう、と怒ってしまう始末だ。けれど全篇を通じ、最も魅力的で最も素晴らしいのはマルシャリンそのひとなのだ…。シュトラウスは、そう僕らに語りかけている。
 僕は成熟した女性の美しさというものを信じるし、オペラはもっぱらそんな成熟したひとのためにある娯楽だ。この連載を通じ少しでもオペラに興味を持った方がいらしたら、どうぞ実際にオペラを愉しんで下さい。いつかあなたがヴァンサンカンを卒業する日がきても、オペラを観なくなる日はきっとこないはずだから。

(©1998 Yuichi Hiranaka originally appeared in 25ans magazine Dec. 1998)
ヴァンサンカン12月号(1998年)に発表。


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x A,2 H,1 Last update Oct.30.2010