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 第3コラム集『ミラノの犬、バルセローナの猫』完全ライナーノーツ。Part 3


前代未聞、初の試み!
著者によるコラム集収録全作品解説!
*は本書のための書き下ろし。

★★★

《その時T黄金の竪琴Uは鳴り響く… 》 *

 本書中でいちばん長いのがこの一篇。別に何が書いてある、ということではないが(というのが、申し訳ないが、じつは僕が追求している部分、ですので(!笑))とにかくこれを読めば、僕と一緒に一晩を、スカラで過ごしたも同然。…というのはもちろん嘘なのですが(笑)なんとなくでも、そんな読後感が残れば、僕の願い通り、です( ;

《愛国心》  *

「またはワールドカップで"おぼろ月夜"を歌うこと」というサブタイトルをつけようかな、とも思ったけど、長いのでやめました(笑)
 僕の読者のみなさんもいまやお母さん、ということで、子どもを育てていく中で、僕の本が好きなひとというのは、文化的にはきっぱりコンサヴァティヴでも、政治的にはじつはわりにリベラルなひとが多いのではないか、と思うのですが、リベラル、といってもどうもそれがいまや指針にならない。たとえば子どもがいまの文部省の指導要領に従って学校で教わってくることに今後違和感を感じたとしても、それがどのあたりに起因するのか、子どもに判るように説明するのは難しい、というのが「いま」ではないでしょうか。僕の本を好きなひとが、もし「平中クンだったらどう考えるかなー」とふと思ってくださっても、いくら『ゴー・ゴー・ガールズ』を読み返しても、さっぱり判らない・・・(笑) そこで、僕式のすっきりとした見方で、こういう問題をいち度見ると、さてどうなるのか。。。というわけで、この原稿は、特にお子さんをお持ちの方のためにあえて書いてみたんです。じつは(笑)!

《ヒッチコックと谷崎》  *

 これもまた、難しい原稿でしたね。要するに何が難しいといって、ここでも僕はまた「スタイル」ということについて書こうとしたわけですが、文中にある通り、そもそもその「スタイル」ということ自体をシンプルにひとことで説明するのが難しい、ということにつきるわけです…。これについても、宿題、とさせてください。

《荷風、何やかや》 未発表

 荷風について常々思っていたことをあれこれ書いてみたもの。本書中、唯一書いた時点が日付まで明示されているが、これは、もちろん、ひとつ記念の意味でこの原稿を書いてみたから、です。記念とかいって、こんな出鱈目を書かれては化けででる、とおっしゃるなら、それもまたよし(笑)
 ただ、そういうわけで、これもそもそも発表の当てなく書いたものであって、発表用であればもう少しポリッシュしただろう部分が、かなりメモ書きに近いかたちで残っている。しかしそこを直すと全体のバランス、ポイズみたいなものがどうも狂ってくるので改稿しなくてはならず、改稿するとやはりこれは、どうしてもまたひとつ別の原稿になってしまうので、記念、という意味からも、それはやめることにしました。ご諒承下さい。
 では、セールス・ポイントは、というと、荷風とかいいながら、ここには江戸の江の字もでないこと!(笑) よくも悪くも、僕しか書かない原稿でしょう? 本質的には同じモダニズムとはいえ、阪神間モダニズム側からのストライク・バック。そう考えていただいてもいいですね(笑)

追記:後日、この項の冒頭部分、「もはや僕を叱ることのできる人もいない」という表現について、これではずいぶん傲慢に見えてしまう、誰も僕に物などいえない、という意味にとられてしまうのでたいへん気になったと、デビュー当時の担当編集者から注意があった。ここに、僕を叱ってくださる方がちゃんといたわけだが( ; もちろん僕としては、そういうニュアンス、「叱ってくださる方もいないのだし」と直した方がむしろ自然かなと思ったくらいなのだけど、それではさすがにセンチメンタルかと、こういうやや喧嘩腰の表現のままで措いたわけです。

 つまり、ここでは、「叱る」という上下感のはっきりある表現ををどうしても使いたい、という気持ちがまず僕にあったわけですね。「注意する」「意見する」「誤りを正す」というような、上下という意味ではややニュートラルな、客観的な表現を使うのであれば、僕もむしろ率直に、たとえば「わざわざ意見してくれる方もないのだし」などと書いたはずのところ、なのですが・・・。

 実際、わざわざ僕の書くものを後々までちゃんと読んで下さって、僕ごときのためにわざわざ時間を割き、きちんと叱言を下さった方がどれだけいたか、というと、ほんとうに数えるほどでしかなく、そしてその殆んどが既に鬼籍の人となっている。
 そんな恐ろしい、そしてありがたい、いまは亡き先生方の中でも、江藤先生は、僕がおそらくいちばん最初に思い出す方なのです。

《Fly me to the moon》 

 文芸。これも最初この本にはそぐわない原稿じゃないか、と思ったので、プリフェイス的にほぼ等量の原稿を前に置きました。そうまでしてこの原稿を収録しておいたのは、じつは僕がずっと『Fly me to the moon』という3人称の長篇のアイディアを抱えていて、でもそれがどうしても1個所でてこないプロットがあって(笑)どうも日の目を見そうにないなぁ、と思っているんですね。その長篇の方向性みたいなものが、この文芸の原稿にはあるからです。
 書き足した前半部分は逆にすごくリラックスした原稿になって、気に入っています。

 その前半部分。じつは僕としては珍しく、音声認識ソフトを使って書いたもの。音声認識ソフトを使うと、文章のトレース・ラインが自分のイメージといつも少しずつズレてしまい、その修正にかかる時間がたいへんなので、遊び以外にはなかなか使う気も起きないのだが、この前半部分は頭に浮かぶままぽんぽん話題を並べる、という体裁だったので、音声認識ソフトの特性をわりに上手く生かせたのではないか、と思う。手で書いたのともワードプロセッサで書いたのともまた違う、独特の呼吸が、ひそかに(笑)漂う文章になっています( ;

《日本は世界の希望なのか?》 *

「日本は世界の希望なのか?」というこのタイトルで、僕以外のだれが「最近街にきれいな女の子がいなくなった」というところから話を起こすでしょう? ありえないです、絶対、ない(笑) いっていること自体は、きわめて真面目なのですが( ;

《阪急ファイブが青春だった》 *

 本人としてはすごく気に入った原稿ですが、実際にはあまり上手く書けてないです(笑)。最後、これもキリキリキリ、まわりながら“そこ”へ落ち込んでいくようなイメージなのですが( ; 読者の呼吸を考えると、もうひと工夫あってしかるべきですね…。そのあたり、今回も宿題、とさせてください(笑)

 また、婦人画報に「雨の好きだった少女たちに」(2003 6月号) という原稿を書き、自分がもはや「少女」ということばを、僕にしかできない、とても生きたかたちで使える、ということがわかり、味を占め(笑)ここでも使ってみました。しっくり使えることばが増えるのは、やはり楽しいです( :

《終わりの魔法》 *

 構造的には、これがクロージングの1本、あとはアンコール・ピース、と考えていただいてもいいです(笑)

《それが彼女の好きのいい方》

 ジュニー(旧ジュニアスタイル)。ロッテ・チョコレイトのヴァレンタインズ・デイ用の宣伝タイアップ原稿です。このチョコレイトが《高級感のあるもの》ということだったので、それを踏まえることがオファーされていたため文中に「おやつにするには立派なチョコレイト」という記述がでてきます( ;
 エッセイ、コラム、というよりも、掌編小説ですが、こういうサイズのものは特に注文がない限り今後あまり書きそうにもなく、単行本化の機会を逸しそうなので、あえてここに収録しました。

 これは気合い一発、情景描写の原稿ですね(笑) 情景描写を書くのは、本当に疲れるんです。普段と全然違う集中の仕方をするので。たとえば机の上に原稿用紙があれば、それが《バタバタバタっ》とか浮き上がったりしても気づかない、そのくらいの気を集めるわけですね(笑)  それで疲れる、ということもありますが、文章の中でじつはいちばん難しいのは情景描写だ、と一般的にもいうことができます。つまり情景描写ならことばを知っている人であれば、だれにでもできるわけで、そこには本来端的にその文章のクォリティ、本質が露呈されるわけです。そういう意味で、恐いので、とりわけリリカルな情景描写というのは、極力少なく短く済ませる(逃げ切る!?)ということが肝心だと僕は思っていますよ( :

《ミラノの犬、バルセローナの猫》 *

 最後にでてくる、タイトルトラック(笑)です。理詰めではないので、誰にでもは判らないかもしれないけれど、どうみてもここにひとつの『ミラノの犬、バルセローナの猫』というしかない世界がある、ということで、最後もまとめてみました。がちがちではないけれどただの雰囲気ではない、ゆるいけれどこれしかないタイトル、というような、微妙な世界のあり方が、しっくりときて面白いと感じるか、あるいはぴんとこなくて居心地が悪いと感じるかが、本書にたいへん愛着を持ってもらえるか、そうではないかの違いになるかもしれません・・・。
 僕の頭の中には、この項、アーヴィングの不思議な旅行記(というべきか? いまなら単純にコラム集というくくりになるかもしれませんが)『アルハンブラ物語』の最後に収められている「グラナダを去る日」という一篇がありました。もちろん、この名著の読後感には及ぶべくもないでしょうが(『アルハンブラ物語』はもし読んでいなければ、間違いなく読んでいい本ですよ。僕はそもそも講談社版で読んでいますが、いまなら改訂版ですが、岩波文庫版のほうが手に入り易いかもしれませんね…)ここまで読んできてよかったと、まぁ、いい本だったということで、折にふれ思わず書棚からとりだしていただけるような、本書『ミラノの犬、バルセローナの猫』もまた、そういう本であることを願いつつ、この全作品ライナーもここでフル・ストップ、ということにします。

追記:この本を既に読んだ!というひとは、以下をポインタで選択し反転してみてもいいですよ*1 *2
 まず先に本を読んで下さったみなさんに、ですが・・・この原稿、僕が想定しているより速いスピードで読んでしまったひとは、思わずこの項の最初のほうをもう1度読み直すように、ひとつすごく小さな仕掛けがしてあるのですが。。。さて、どのくらいのパーセンテージで、この手を食う(笑)ひとがいるでしょうか? 思わずページを繰り戻した、「くったよ!!」というひとは教えてくださいね( ;(*1より)
 また、この原稿、「グラナダを去る日」だけでなく、僕が子どもの頃とても好きだった白黒の「もりのなか」という絵本(*2)のイメージも念頭にあったのですが・・・さて、どなたか、お気づきになりましたか??

 ところでここで反転してこの文を読んでいるひとの中に、まだこの本を読んでいないひとがいますか? もしかして、あなたは小説も結末を先に読んでしまう口ですか?
 そういうことは、お願いですから僕の小説ではやめてくださいね。1度目は結末を知らずに読んで、2度目に結末を知って、それを含んだ上でもう1度読む、というので、最低限面白さがはじめてひととおり判るように、というつもりで僕は小説を書いていますので、先に結末を読まれては、僕の努力のはんぶん近くがムダになります!!(笑)
 また、本書中でもなんどか書きましたが、僕は「人生のような後味の小説」というのを究極的には目指しているのですが( ; それこそ、人生というのは結果が判らない、正解のないものです・・・。小説を読むなどということでさえ、流れに任せることもなく先に「正解」を知ろうとするようでは、さて、人生は生きづらかろうし、結婚(愛情を前提とした現代の)にも、なかなか適応できますまい…。「利回り確定の愛情」などという虫のいいものを求めては、いずれそのつけを払うことになりましょう。自分が払うだけならまだしも、そのつけは子どもにも回ります。子どもの性格や人生観といった、内面にも、です。ですから、そのような禍根を断つ!という意味でも、その第1歩として、小説を結末から読む、というその悪癖から、まず改めていきましょう。
 やれば、できるさ。
 おーっ!( ;

© 2004 yuichi hiranaka  

表紙画像ミラノの犬、バルセローナの猫
le chien à milan, le chat à barcelone

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