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 第3コラム集『ミラノの犬、バルセローナの猫』完全ライナーノーツ。


前代未聞、初の試み!
著者によるコラム集収録全作品解説!
*は本書のための書き下ろし。

《MYSTIC SMILE》 *

 次の「ギャレリアに響く鳥の声」を冒頭に持って来ようとしたら、どうも冒頭の1本としては出だしが違うぞ、ということで、同じカフェ、という流れで違う出だしを書いてみたところ、いっそ別の1本として仕立てたほうがいいかな、と思ったので、プリフェイス的に、こういうかたちに。で、短いわけです( ;

 ところで、このMYSTICという単語、僕は昔々、歌の歌詞から耳で聴いて憶えました。今回この原稿を書くにあたって、初めて辞書で引いてみたくらい、のでたらめさ、です(笑)  本書では、特に書き下ろし部分に、もうめんどくさいので(笑)英語の単語がそのまま使われている部分がかなりあると思います。これはまず、僕が英語で思いついたものを、基本的には日本語に置きかえるよう、1度は必ず試みるわけですが、それで日本語にしたほうが面白くなる、ないしそう印象が変わらない、というものは日本語にし、やっぱりどうしても面白みが損なわれると思えたものは、特に今回の書き下ろし部分では、日本語にすることを、いさぎよく(笑)やめてしまったわけです。
 所詮僕が知っていることばですから、問題ないとは思いますが( ; 子どもの頃から僕がたくさんのポップソングを聴いてさまざまなことばに楽しく親しんだように、万一耳なじみのないことばを見つけたら、今回楽しく、あなたのことばの引き出しの中にも入れてあげてくださいね( ;

 ...そういえば、この項、集結部分、僕の念頭には、"last but not least"という日本で英語を勉強したひとならだれでも知っている試験に出る英熟語、あのイメージあったわけですが(笑)いま改めて読み返してみるといまいち決まってませんかね。。。ちょっと不満です(←冒頭1本目からか? それで、いいのか??)

《ギャレリアに響く鳥の声》

 メンズクラブに寄稿。実際は東京のカフェの紹介記事の横に流されていて、他の執筆者は自分が最近気に入っている東京のカフェについて書いていた。僕にだけ細かい説明がなかったのか、同じ説明なのに僕だけ勝手にミラノの話を書いたのか。。。上がりを見て、まぁ、いまに始まったことでもないけれど、なんと空気の読めない不調法な執筆者、と自己嫌悪に陥ったのを憶えている(笑) あとの原稿ではガレリアとしたものがギャレリアになっているなど、いまから見ると表記など改めたいところや不十分なところもあったが、まぁ、これはこの時のタッチなので、明らかに書き違えたところ以外、そのままにした。

《カリフォルニアの夜の空気、独りであること》 *

 書き下ろし部分、まずこの1本から書き始めました。この本の全体のトーンを決めた1本。この本の文体自体をここから作り始めたので、まだこなれていない部分もあるが、僕としてはたいへん愛着のある1本。僕にとっては忘れられない、原風景としてのカリフォルニアを書きとめておいた。みなさんにもじわじわっと、あとになってから思いかえされるような、さして流麗でもなく不格好なのに(笑)なぜか妙に読み返してしまう、そういうような文章であるといいな、と思います。

《生き方の耐用年数》 *

 いよいよ、本書『ミラノの犬、バルセローナの猫』独自の世界が形作られていきますよ!(笑)
「僕とみづきとせつない宇宙」もそうだけど、決して理詰めのタイトルではないけれど、ただの思いつきとか気分だけのタイトルではない・・・がちがちの決め決めではないので、判らないひともいるかもしれないけれど、判るひとにはもう、なんともいえず、いかにも、この本でいえば『ミラノの犬、バルセローナの猫』、そんな独特の空気感をつくっていければ、というつもりです。

《16年前のボディーボーダー》

 これはシスターです。古い原稿ですが、この流れの中ではちゃんと機能して、この本の世界をさらにひとつクリアにしていると思う。原稿自体としてはやはりいまから見ると若書きでもあり、また『ゴー・ゴー』の脱稿後、『ゴー・ゴー』のプロモーションの一環として書いたものでもあり、5年越しの大長篇脱稿後の開放感、みたいなものもあって、楽しいポップな原稿になっていると思います。
 子どもの頃、僕がカリフォルニアでボディボードに挑戦した話(笑)

《さよならをいうことは僅かのあいだ死ぬことか?》

 ご存じ、こちらWorldClulbへの書き下ろしコラム。要するに僕はチャンドラーが好きだからこそ『アイム・イン・ブルー』という小説を書いたわけだけど、「カリフォルニアの夜の空気――」を受けて、僕にとってのチャンドラー作品の魅力、世間一般のチャンドラリアンとはおそらくかなりずれているその捉え方みたいなところを書いてみた(引き合いに、ジョアン・ジルベルトがでてくるなんぞ!(笑))。もちろんチャンドラー作品の解説、入門的な原稿にもなっています(独自の観点ながら)。
 ・・・本書の通しテーマのひとつである読書、というところで、チャンドラー以外にも、本書では僕にとっては特別愛着のある作家たちをとりあげた原稿をいくつか読んでいただきます…。

《フィッツジェラルドのパーティ・タイム》

 エスクァイアです。注文の電話を受けたとき、開口一番、どうして村上春樹さんに頼まなかったの?と僕は訊きましたね。いや、マジで(笑)。そしたら、断られた、とのこと。いやー、ありがたいです(笑) 僕はこの原稿を書いていく途中で、初めてフィッツジェラルドについて自分なりのはっきりした考えというか、まぁ、肝が決まってきた(笑)というところがあり、書いてよかった、と思える原稿です。ただ自分としても新しい考えで、また注文原稿ということで枚数等の制限もあり、かなり大雑把にグラブした、という感じの原稿になっています。

 いやしかし、やや遅きに失した、という感じもありますね(笑)
 フィッツジェラルドが僕にとってどういう作家かというと、端的にいって、じつは僕の母の学校の卒論もフィッツジェラルドだったというくらいのもので――当時はフィッツジェラルドの邦訳などひとつもなかったそうです。そして20数余年を経た(笑)僕のバチュラーも、たまさか、ザ・グレイト・ギャツビーだったわけです――たまさか、というのは、母のBAがギャツビーだったということは、僕が自分の卒論の話をしたときに、初めて母から訊いて、僕自身ちょっと驚いたというか、いやー参ったなーと思ったことだったからです。・・・そういうわけで、この作家への関心はじつは親譲り、好き嫌いを超えて、僕にはそもそもベーシックなもの。この原稿は、だから子どもの頃から本当は何より影響を受けていたはずの、母のフィッツジェラルド観に対する、僕の“切手のない返事”でもあるのでしょう。。。

《これを英語でいえますか?》

 これもご存じ、こちらWorldClulbへの書き下ろしコラム。卒論の規定として、ダブル・スペースで20ページ以上、とか平気で指示する大学にいて(笑)得々として英語でべらべら喋る連中を横目に、持ち前の《へそ曲がり》から「なんか違うぞ」と反射的に違和感・居心地の悪さを感じていた僕ですが(笑)出発点はただの《へそ曲がり》でも、時という試練を乗り越えれば(!!)それなりにひとつの考えというか、立場にまとまってくるようです(;

《モンテナポレオーネ再訪》 *

 本書のための書き下ろしですが・・・この原稿に先立ち、僕は「海の猫たち」を書いて、その辺から本書のもうひとつの通しテーマである旅・旅行記的な部分を作っていったのですが、その「海の猫たち」で僕はひとつかなりユルユルというか、どう考えても、冷静に見ればひとつになりようのないバラバラなものが、なぜか不思議と(読者にとっては、ですね)ひとつになっている、という、ちょっとめちゃくちゃというか、離れ業的な原稿の、可愛いけれど奇妙な違和感の残る読後感、みたいなものに面白さを感じてしまい(!笑)もう1歩突っ込んで、それをやってしまいました・・・。やり過ぎですね、はい(笑)

 タイトルは申すまでもなく、FitzgeraldのBabylon rivisitedからきているわけです。文中にも、2個所、みっつの引用がありますね( ; Babylon rivisitedも、いち度は必ず読んでみて下さい。テクストが面倒なら、いまでは野崎孝さんの訳もありますよ。(学生自体にあれば助かったのに・・・(!笑))
 特に、もしもあなたが

1.原文では読むつもりがない 
2. テクストで読んだけど、ひとつだけ翻訳も読んでみたい

 このどちらかに当てはまる場合、僕の考えでは、まず、野崎孝さんの訳がいいのではないか、と思います

《不安について》 *

「生き方の耐用年数」を書いたことで、ひとつ本書の読者が、はっきりと大人の女性(そしてwould be大人の女性+大人の女性を愛する全てのみなさん!!)ということにしぼられました。それで、本書では、僕が僕の同世代の、かつては僕の作品を愛してくださった少女読者だったみなさんが、いまは大人の女性になっている、そのみなさんに僕からいま書いてみたいこと・・・というひとつの流れも生まれたわけです。そこで、不安、というテーマがでてきました。中心的には、キルケゴールの「不安の概念」をザクザクっと(笑)サマライズしつつ紹介しているわけですが、ここでは、僕がこれまでいい損ねていた・上手くいえなかった・上手く捉えられなかったことが、初めて少しだけ書かれています。・・・イノセンスという問題に対する評価の部分などもそうですが、これは、キルケゴールのことばを借りて、初めて僕があらわすことのできた部分、でしょう?…
 また、大人になるということは時間を経るということでもあり、時間性というようなところにも少し触れてみました。僕の作品のひとつのモチーフにこれまで「別れ」というものがあったとすれば、それがいまは少しずつもっと大きなパースペクティヴの中に移り、「時間」ないし「時間性」といったほうがよりそぐうものになりつつあるようにも思います…。
 冒頭のキャンパスの風景描写からぽーんとリープするところは、エッセイでは、僕の好きなタッチです( ;

《BBのいた部屋》

エスクァイア別冊。インテリアを「口実」にした(笑)バルドーについての原稿です。僕が物書きである以上、バルドーについて何も書かないとすれば、たいへんな「云い忘れ」をしたことになったでしょうね・・・。

《京都ワン・デイ・トリップ》

 アンソロジー「京都路線バスの旅」に書き下ろしたもの。京都に行って、観光バスに乗って、窓から見えたものをそのまま書いただけ、です(笑) しかし、基本的に、こういうなんでもない、見たものをそのままきちんと書くだけ、という原稿が、僕の文章全体の基本にあります。そのことについての特別な知識から何かをいう、というよりも、むしろ自分の感覚したことを、できるだけ素直にことばに置きかえる、ということが、むしろ僕にとっては本来的なわけです…。

 極端にいって、たとえば学校の遠足の感想文のような、みんなが全く同じものを見て、同じものを書く、というような時に、なんだか不思議に(読む人にとっては、ということですね)この文章のほうが面白い、感じがいい、という文章が書けるとすれば(書き手からいえば、それはある種の《ブレの少なさ》という問題に収斂できると思いますよ( ; )それは明らかに文章自体がいい、といえると思います。大したことは何も書かれていないのに、特には何も起こらないのにどこか面白い、というのが、究極的には僕の目指す文章ですね。

 ・・・いや、これだと、だれよりも文章の上手い人になりたい、という意味になっちゃうかな?(笑)

《「御都合主義」の福音》

 ぴあMap関西版に寄稿。次の「心地好い、郊外の風――」と併せて、僕のした“関西仕事”(笑)のほぼ掉尾を飾るもの。・・・地震以来、とんとこういうオファーは来ませんので(泣)こういう原稿も、それきり書いていません。

 思えば僕の前回、2冊目のエッセイ集『シンプルな真実』がリリースされたのがちょうど1995年、今回は9年ぶりのエッセイ集、ということになりますが、つまり今年は地震からもう9年、ということにもなるのですね。。。いろいろな感慨があります。

《心地好い、郊外の風をあなたに…》

 Hanako West 5月増刊号 関西沿線大ガイド'94、最後のページにあとがきふうに使われたエッセイです。
「「御都合主義」の福音」とあわせ、このあたり、古くからの僕の愛読者のみなさんには、『ギンガム・チェック』の「砂浜、ボサノヴァ、日灼けの名残り」、さらには『それでも君を好きになる』の「8年ぶりのピクニック」、『ゴー・ゴー・ガールズ』の「ひとつめのさよなら」、『ポケットの中のハピネス』の「まぬけな僕ら」等等等、、、数々の原稿を懐かしく連想していただけるタッチになっているでしょう・・・(;

《クリスマス・ホワイト》

 創刊1年目のヴァンテーヌ、クリスマスプレゼントがテーマのエッセイアンソロジーの特集があったんです。新しい雑誌はどれもそうですが、とくに最初の頃のヴァンテーヌは、とても新しい、面白い感じがありましたね。お断りするまでもないでしょうが、決して如才ない文章ではないけれど、ごくごくプライヴェイトな、インティメイトな、そして僕にとっては大切な、愛さずにはいられない一篇です( ;

《むじゃきな気持ち》

 オリーブ。『ゴー・ゴー』を連載していた関係で、オリーブは誌面にもなんども顔を出しているのですが、いつもコメントなどで、原稿というのは意外になく、唯一見つけたものがこれ。かつてのオリーブ少女のみなさんへの、時を越えた贈り物、です( :

《パーティ・コール/移動遊園地》

 ホットドッグ・プレス。巻頭のコラムです。面白いのは、パーティコールの項を読むと、僕がかなり自分が若い時から若い人の悪口を書いていた、ということです(笑)若い人向けの雑誌に書くと、自然に若い人に批判的になる、というのは、やはり《へそ曲がり》の面目躍如、というところでしょうか( ;

《君は知らない》

 ベストヒットという雑誌の別冊に書きました。
 これはコラム、エッセイというよりも、短篇、掌編小説に類するもの。でも単行本化の機会を逸しそうなので、ここに収録してしまいました。
 ちょうど『麗しのUS』の「僕は知らない」を書いていた時だったのですが、それでもこれを書いたのは、たぶん稿料が一般の雑誌掲載の小説としては、僕がプロとして文句なしに断らないと決めている基準値に乗っていたのかな、と思います(笑)しかし、一方では『麗しのUS』を作っていて、また、頼まれたテーマ自体が「恋のスリル」というものだったので「なにぃーっ、恋のスリルだっっ?」とかも思って、はんぶん切れながら(笑)書いたらこういう原稿になりました。続く「消える小説」「Magic Time」と並んで、好き嫌いは別にして、独特の面白さがあるので、あえて収録しておくことにしました。また『麗しのUS』がとくに好きだ、という方には、ほんとに同時に書いていたことが手にとるように判り、面白いと思います。姉妹篇、といっていい一作。

 ところで、この項、エンディングは、若干決め決めすぎ、と思われるかもしれませんが、これがほぼ僕のイメージ通り。でもこれではtoo muchだ、という感想がでるのもよく判り、本当は、僕自身がちょうど気持ちいい、というところからどこかマイナス・ワンする必要がある、それでちょうど、なのかもしれません。本当にこのあたりのさじ加減は微妙で、いつもやり過ぎだったり、急ぎ過ぎだったりしてしまい、なかなかどんぴしゃり、ということはありません。・・・まぁ、いち度それがパーフェクトにできれば、ある意味では、もう文章を書くのをやめてもいいくらい、なのかもしれませんね(笑)
 小説として捉えると、僕としてはこれまで唯一の二人称作品、ということにもなります(;

《消える小説》 未発表

 遊びで書く文章というのは、自分で面白いところだけ書いて、はいおしまい、と大抵途中で投げだされている場合が多く、なかなか人にお見せできるような代物ではないのだが、これは珍しく完結しているので、ここに収録しておきました。遊びで書いた文章、ということで、これも発表を前提とした僕の日常的な文章のタッチからはわりに離れていて、好きか嫌いか、といわれれば、これまた難しいところなのだけれど(> <)これも独特の面白みがあるように思うので、収録しておくことに…。

《Magic Time》

 In Natural。前の「君は知らない」とは反対に、これは僕がプロとして絶対に受けてはいけない、と決めているラインを割り込んだところのオファーで(笑)けれどそれでも書いたのは、僕がギャランティを訊ねる前に担当者が僕に面白そうだ、と思わせたからで、もちろんこういうのを優秀な編集者、というのですね(; だからこれがこういう原稿になっているのは「じゃあ、それ僕書くけど、もう本当に好きに書くからね!」そうじゃないと書けないもん…とまではいわなかったと思うけど、要はそういう気持ちで書いたため。
 たいへん力の入った原稿だけど、判り易さとか共感され易くするための再把握、みたいなことはここでは一切なされていない。そのぶん僕の普段の原稿と、これまた結果的に微妙に違う肌合いになっており、好き嫌いはともかく、こういうタッチもひとつあり、ということで、やはり収録しておきました。

《死んだ猫の夢を見る》 *

「あ! これ、元ネタはあれだよね、あれがやりたかったんだよね!」とお思いのみなさん。僕にとってはたいへんありがたい読者のみなさんです!といえるわけですが、じつはそうではありません!(笑) 元々この原稿のアイディアをメモしたときは、まだ読めてなかったんですよ、じつは!(「心情の間歇」) 信じて頂けないかもしれませんが、だからこれはほんとに偶然。っていうか、いくら僕だって( ; 先にあっちを読んでいれば、もうちっとは考えた(笑)  この文の終わり方も、《くるくるストン》という感じで(笑)僕はすごく好きなんだけど、いま読み返してみると、やっぱりイメージ通りには書けてないね・・・。読者の呼吸を考えると、もうひと工夫あってしかるべきでした…。とにかくこのあたり、ほんとに難しく、思った通りの効果を与えようとして理屈で考え過ぎると、加速感とか落下感とか、そういうぐらぐらクラクラした感じがやや削がれてしまう。ほんとに微妙で、イメージ通りに、ちょうどここ、どんぴしゃり!に書くのは、書けることは・・・ほぼ、まずないんです(笑)、ウェー!(と居直る!・それも韓国語で!!)

《私ではないものとしての文章》 *

 こうして読んでみると、この原稿、ずいぶん後になって書いたものなのに、前の「Magic Time」をふしぎに受けているようなところもちょっとありますね。何年もおなじことをいろんな風に考えている、進歩がない、といってもいいのですが(笑)このあたりもまたひとつ、僕がスティックしている、僕にとってとてもだいじな問題なのだ、ということだと思いますね。それが何か、ということは、やはり一口にはまだ上手くいえないわけだが(それを上手くいい当てたくて、このあたりも書き続けているわけだから!)、この本の一番最後にでてくる「終わりの魔法」や、「荷風、何やかや」等も併せて読んでみていただくと、僕の問題意識がどのあたりにあるのか、おぼろげにでも浮かんで来るのではないか、と思います・・・


Part2へ続く)

表紙画像ミラノの犬、バルセローナの猫
le chien à milan, le chat à barcelone_blank

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