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白と黒で2005 9e
<<このシリーズを1erから読む
(フジコ・ヘミングの言:)「少しくらい間違えたって構やしないわよ、機械じゃないんだからサ」…。
これは、もちろんここだけとってみればだれにも反対する余地のない、大正論だ。しかしこれは、いってみればちょうど「どんなふうに生きたっていいのよ、ほんとうに幸せならね」みたいなことで、正にその通り、なのだが、実際には、人生の非常に多くの局面で、その「どんなふうに」こそが問題になる。
大正論ではあるが、実は特段なにも語られてはいない。彼女の口から発せられるからこそ意味を持つ。これはそんなことばだろう。また、だからこそ誰にでも受け入れられ、誰にでも思い入れることのできる、そんなことばなのだろう。…このあたりにまた、いまこの国での彼女の破格の人気の勘所を見るような感じがする。
ともあれ、何はなくとも「私」である、ということにかけては人後に落ちないフジコ・へミング。行きがかりの偶然ながら、ここに上原さんのコンサートの放送をならべて僕はみた。
ミス・タッチなど、もはや完全に問題ではない、「とにかく私はこうなんだからサ…」と我が道を行くフジコ・へミング。
一方、絶対的な技術はありながら、「私」とはなんなのか、はたして「自分の音楽」とはなんなのか、ギリギリと自らに問いつめていく上原彩子。しかし自分の音楽とはなんなのか、といったって、まだまだうんと若い彼女である。もしも結果的に、それが殆んど“ない知恵を絞る”ような様相を呈したとしても、それは決して彼女の責任ではないだろう…。
ある意味でたいへん対照的なこのふたりの演奏、なのだが、ボトムラインをいえば、僕にはどうしても、断然上原彩子のほうが面白い。30年後の彼女の演奏が面白いかは判らないが、現時点でこのふたりの演奏、どちらか一方だけを聴くとすれば、僕は文句なしに上原を聴く。決して聴いて楽しい演奏ではないが、彼女の孤独な自問自答、常人にはありえない高いレヴェルで徒に展開される、容易くは報われようもない苦闘ぶりが僕にはスリリングでもあり、また、感情移入、共感もできる。…いやいや、まだまだ僕もケツが青い、ということなのかもしれない(笑)…と、こう書いてくるうちに、なんだかこの際彼女のベートーヴェンが聴いてみたい、という気がちょっとしてきた。上原さん、次はベートーヴェンを弾いてください。もし事前に気づくことさえできれば、必ずコンサート・ホールに伺います、と約束しましょう。そうですね…。神戸か大阪。あるいはパリで、でもいいですよ( ;
ご愛読ありがとうございました。 ・・・Fin!
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