はじめに... | 平中悠一 |
このページでは僕の読んだ本の中から面白かったものだけを挙げて行きたいと思います。また、読書ノートもかねて、簡単なメモも付けて行きます。(面白い本に当たらなかった月は、残念ながらお休みになるでしょう)
どれでも面白そうなのを読んでみて下さい。そして、もし本当に面白ければ、メッセージ・コーナーからメールをいただける時にでも、一緒に知らせてくれると嬉しいです。
[Go Back] | [本の紹介|新着分] | Oct.17.09更新 誰か、待ってくれてました? |
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★★★★ | I love it! | 文句なしに、もうもの。(L付きは特に思い入れを持ってお薦めするもの) |
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★★★ | Almost fine | 面白いといっていいもの。 |
★★ | Worth to read | 1付きは一読の価値はあるもの。2付きは問題ありだが捨てがたいもの。 |
★ | Not too bad | なんらかの魅力はあるもの。 |
《評価の観点》 | 平中悠一 |
――結局これは、僕がどういう小説を好きか、いいと思うかということの説明にもなりましたね。
《パトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズがこのページでは★★1になる理由》
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ホーギー・シリーズの第3作。この都会的な、適当に小洒落たミステリのシリーズで、ここ数年実はハンドラーは僕の中で最もリライアビリティを感じる作家にランクされていました。
舞台となる街(本作ではNY)、着心地よさそうな服や旨そうな食事といったディテールはいきいきと描かれ、それだけでも十分愉しめるほど。過不足のないユーモア。会話部分も楽しい。そして何より、数多くの人の不幸を扱いながら、その背後に人間に対する温かい目があり、どこかで人生の幸福を信じ得るか細い道筋を、けれどその分確かに指し示す…。むしろそのか細さが、かえって大人の読者には信頼感を与えるといってもいいでしょう。
もはやハッピーエンドなんて信じられない、というあなたに。もしあなたが、それでもハッピーエンドを愛してやまないひとならば。
この著者の、同じ"ホーギー・シリーズのうちベヴァリーヒルズが舞台の『笑いながら死んだ男』、ロンドンが舞台の『真夜中のミュージシャン』(同文庫)も★★★★L。
ケープコッドにほど近い海辺の別荘に住む主人公の、鯨を愛する息子が事件に巻き込まれ…というお話し。
海、ヨット、主人公のイタリア系の奥さんの作る旨そうな料理(夜中に読むと辛い!)等、さまざまな魅力に溢れた一冊。最近のアメリカ小説には珍しく、幸福な家庭、家族の愛情がベースに流れている点も心が和む。
ちなみにヒロイン、主人公の奥さんは性的には奔放で、魅力的です。愛のあるセックス。素晴らしい。幸福な小説です。
この著者にはスタイルがあります。文章のビート、ストーリィ・テリングにも学ぶところ大でした。
この著者の、同じ"ドク・アダムズ・シリーズ"『ケープコッド危険水域』『幻のペニー・フェリー』『ディジー・ダックス』(同文庫)も★★★★L。
面白い、典型的に、読み出したら止められないという小説。
スリリングに、ゴージャスに、まるでよく出来たエンターテインメント映画を見るような、めくるめく展開へと読者を引き込みます。
舞台のNYもわりによく生きていて、あの街が好きなひとにもお薦め。
また、ヒロインがなかなかセクシィで、そのあたりも愉しめます。
ただ、著者の『人生観』には少し首を傾げる面もあり、それがLなしの所以です。(『男性作家にありがちな女性不信』参照のこと)
それでもこの作品を読まなければ、僕は新作長篇『アイム・イン・ブルー』を書くことはなかったでしょう。
この著者の、他の作品もお薦めします(『湖底の家』『LAタイムズ』(同文庫)など)。
レナード・タッチと呼ばれるほどの、独特のテイスト、手法で読者を引き込む作品です。
3人称の多視点という著者一流のスタイルで紡ぎ上げるひとつの物語りの中で、仇役のサイコパスまでが生きいきと魅力的。
変化球、玄人好みの一冊だけど、面白いことは請け合い。
またこのスタイル、3人称の多視点という技法の有機的な活用、その完成度の高さにおいて、これは同じ著者の中でも極めつけの部類に入ります。
いつかこういう方法論で小説を書いてみたい…。物書きには、そんな、すごくそそられる書法です。
この著者の他の作品もお薦めします(マイアミを舞台とした『ラブラバ』/早川文庫、イタリアを舞台とした『プロント』/角川文庫など)。彼の場合新しいものほど、たとえば80年以降のものの方が面白いようです。
ワスプのアメリカ貴族の閉鎖社会、主人公の隣家(といっても1軒が新宿御苑より広い!)にイタリア系マフィアのドンが引っ越してきて…というお話し。
少々免疫のある向きにも、さすがにこの主人公のスノッブぶりにはちょっと鼻持ちならないと思うのでは。
対するマフィアのドンも細部まで実によく描かれており、作品世界に引き込まれる。またヒロイン、主人公の美しい妻の淫蕩ぶりも見モノ。
流行り物には慎重な方なので(いや、ほんとに)手を出さなかったのだけど、この長篇は面白い!
男性のセックスをこれくらい正直に、かつ面白く書いた小説はまれでしょう。さて、女性の方はどう読むのか…感想を教えて欲しいところです。
エピソード的な断片の集成なので、夜独りでバーボンでも飲みながら、ぱらぱら読むにはもってこい(酒の話題もセックスと並んで豊富です)。
ところどころ、ふき出してしまうほどのユーモアもあります。
アメラグからイギリスの田園地帯、バーナード・ショーなどの英米文学・戯曲から最新の心理学、ジャック・ザ・リッパーまで…てんこ盛りになっている事物の多くに、著者の思い入れがきちんと感じられます。まぁ、少々欲張り過ぎというか、盛りだくさんすぎて物語り自体が壊れかねないというきらいもありますが、Novel of mannersとしての魅力を備えています。。
しかし、男性作家にありがちな女性不信
特に主な舞台となるマイアミの街の描写に関しては僕の知るものの中では随一です。例えばサンダーズの『Salivan's Sting』はいうに及ばず、レナードの『ラブラバ』よりもなお、マイアミのあの感じを、ひしひしと甦らせてくれます。
また、オフ・ビートな小説としても、まずまずの成功を収めています。
この系のものを読むと僕はいつも「ああ、こいつ、きっと何か女で酷い目にあったんだろうなァ」と思います。「お前が女を信じないのは勝手だけど、俺の気持ちまで巻き込むなよな!」と怒りたくもなります。
結局、彼らはそもそも女性を間違った信じ方で信じようとしているのではないでしょうか。信じるにはあたらないところを信じようとするくせに、信じるべきところを信じようとしない、というのが全ての問題の元凶だと思います。
うーん、いかにも含蓄のある指摘ですね(笑)。
そういうわけで男性読者諸兄はどうぞ、僕の新作(『アイム・イン・ブルー』)を楽しみにして下さい…。
このページには、少し不似合いな本ですが――そしてまた、男性でこの本をチェックしているというのもさぞかし珍しいことでしょうが――あんまりすごい本なので。
この手のハウ・トゥ本はあまたありますが、なんと、この本に書かれていることは、殆ど全て、真実です! 僕自身、ひとりの男性として、この通りにやられてしまえばもう、ものの見事に骨抜きです。「また、また」と思うかもしれませんが、これほど使えるハウ・トゥ本は、ちょっと類例をみないないでしょう。
翻って、僕の創作に関していえば、僕は女性の皆さんに楽しんでいただくだけでなく、もちろん男性の読者にも、作品を楽しんで貰いたいといつも思っているわけです。だから、女性の登場人物を男性からみて魅力的に描く、ということについて、いつも一方ならず心を砕いています。でも、そんな僕が作品中で、自分のヒロイン達に与えている諸要素を、女性の立場から逆に項目立てて行けば、この本に書かれているどれかの条件に詰まるところ収斂されるようにも思うのです…。
いやぁ、これは実に恐ろしい本ですね。この本を、皆さんに自信を持ってお薦めします。が、ただし。女性の皆さん! この本に書かれていることをマスターした後で、どうか僕に近づくということだけは、絶対にしないで下さい。その点は、くれぐれもお願いしておきますよ(笑)。
このページ、更新が少なくって申し訳なく思っています。別に全く本を読んでないわけではないんだけれど『間違いなく面白い』と銘打ってしまったので、「うーん、まぁ、面白いといえば面白いんだけど、何もこのページで取り上げなくってもなぁ×××」というものが多くって…。これも、デミルは『ゴールド・コースト』を既に挙げたしどうしようか迷ったんですが、そういうわけで、ひとつ。
内容的には、見事なページターナーです。舞台はロシア。その描出に関しては、この僕に思わずラフマニノフのピアコンの3番のCDを、今は夏だというのに(cf.『シンプルな真実』〜「クラシック音楽史早わかり その3」)引っぱり出させるくらいのものでした(僕的には、かなり褒めてます)。同じ著者の『将軍の娘』も文庫化と同時に読みましたが、どちらか?といわれれば僕はこちらをとりますね。
この作品のヒロインも、なかなか魅力的です。「ああ、やっぱいいよな、アメリカの女のコってのも」と、改めてちらほら思ったりもしました。『男ウケ』系かもしれませんが(そのあたり、visitor諸姉のご意見を待ちます[→メッセージ・コーナー])。
そういえば、リンクに90210を入れているのに目敏く気づいたClubMembersの女性の皆さんに、何度か「平中クンは『ビヴァリーヒルズ』の中では誰がいちばん好きなの?」って質問メールをいただきましたが、いうまでもなく僕はケリー派です。厳密にいえば「寝起きのケリー」の(結構多いシーンだって気づいてますか?)ファンですね。いやぁ、彼女の寝巻姿は娯しいですね(笑)。でも、けっこうセックス好きじゃない、ケリー・テイラーって冷静に見ると? 貪欲。アメリカの娘だからあれでもわりに平気で見てられるけど、日本人の女のコがあのノリ出すと、魅力的に見せるにはちょっと年季がいるんじゃないだろうか。下手すりゃ「淫乱」ぽく見えるちゃうかも。だって、僕ら彼女の男遍歴を全部観てるし、その度に彼女、あのタッチなんだもの…。負けるな! 日本の女のコ――と、今回は、あまりマトモな本の紹介じゃなくなってしまいましたね。ごめんなさい。
最近Tお洒落系Uミステリに出色のものを見つけられず、遂にこんなものを読みました。ご存じの通り、定番中の定番、冒険小説の最右翼です。もっとマッチョなものを漠然と思い描いていましたが、非常に端正な作品でした。エレガント、といってもいいでしょう。簡にして潔。抑制されたスタイル、構成を誇りながら、決して物足りぬところもありません。あざとさのカケラもなく、それでいて見事に読者をドライヴしてくれます。舞台は初雪前の肌寒い北欧、主人公は元英国諜報部員の飛行機乗り、ヒロイン――ということになるのでしょうね――はアメリカ南部人の美しい富豪の令夫人です。アウトドア派の方などキャンプへ持って行って読めば、非常にイイ感じの小説でしょう。
ではなぜ僕の評価は率直に★★1にとどまってしまうのか…僕自身、考え込んでしまいました。
どうやら僕にとって、人生の中で最もプライオリティの高いものは、金でもなく、夢でもなく、むろんダンディズムでも冒険でもなく、そして、セックスでも、愛でさえないのかもしれません。――では、なんだというのか。
失笑を買うことを恐れずいえば、どうやらそれはTロマンスUのようです。タワー・レコードのでんでいえば、「No romance, No life」…(笑) そういうことです。そんなことを、しみじみ考えさせられた1作でした。
「えー、なんで、この小説にはロマンスだって、ちゃんとばっちりあるじゃない」そういう声もあるでしょうが、でもこの著者にとってロマンスは、結局、本質的にプライオリティの低いものなのです。もしあなたがそれは違う、と思うなら、あなたにとってもそうなのです。申し訳ないが、僕の「読み」は決して浅いものではありません。たとえ深すぎる、ということはあったとしても…。むろんこれは相対的な評価であって、単に僕のほうが異常にロマンスにプライオリティをおいているということも、もちろんできるでしょう。でも、逆にお尋ねしたい。それは純粋に趣味嗜好の問題であって、そこには優劣はないですよね?
(この文、TロマンスUをT女性Uとして書いたほうが判り易くなったかもしれません。…なんと抗弁しようとも、本作において、ヒロインは『添え物』にしか過ぎません。主人公の人生を――そして読者を。本当にインヴォルヴすることはありません。単なるT彩りUにしか過ぎないのです。それを、それはそれで良し、とする男性は…あなたが僕の書くものを理解して下さることは、残念ながらないでしょう。まぁ、それは、大した損失でもないでしょうが。それ自体としては…)
辰巳四郎氏の美しい装丁に以前から惹かれていたのですが――ちなみに、バレエをやっている、ないしはやっていたという女のひとに僕が、この著者の言葉を借りれば『特別な感情を持っている』というのはいまさら隠しようもないでしょう(笑)――英国人作家で帯の煽り文句も暗い、というので二の足を踏んでいました。が、読んでみるとなかなかヨかった。
この著者のスタイルはとても僕の好みです。女のひとらしい(といっては叱られますか?)飛躍や混乱を招く部分も時にありましたが、翻訳のせいかもしれません。原文にあたっていないのでなんともいえませんが、他にも翻訳には少し「え、どうして?」と思わせられる点がありました(あるいは原文をあたれば納得、なのかも)。というわけで、いわゆるソリッドなミステリ・ファンからはそれほど高くは評価されず、小品/佳品扱いになるかもしれません。でも僕の求めているものは彼らとは違います。また、ハードボイルドというのはパズル・ストーリィではないのだからT結構の力点Uのあるべき場所が違うと僕は考えます。やや饒舌に流れるきらいはありますが、もちろんそれは僕にとっては全く問題ではありません(なんといっても『アイム・イン・ブルー』を書くような人ですから、僕は!)。僕に問題なのは、そこで語られる内容です。
ともかくこの主人公、僕にはすごく魅力的でした。これまでに読んだ女探偵の中で、いちばん好きかもしれません。第2作『最上の地』も続けて読んでしまったくらいです。2作目の最後のアクション・シーンなど、女であることを拒絶しない女探偵によるハードボイルド/アクションという観があり新鮮でした。なるほど、このTポイントUか!と。(もちろん都合よく『白鳥の騎士』など現れませんよ!) エンディングも決まっています。
★は3つにとどめましたが、久方ぶりに「このページに来ているみなさんにはぜひ!」とお薦めできる1作です。
『この項は、25ansの連載『恋愛用オペラABC』第6回のためのメモとして書いた文なので、他の項と文体がまるで違ってしまっています。(ほとんど原稿の文体に近いです)でもこれはこれで出来上がってしまっているので、web用に書き直すことはしませんでした。読みにくいかもしれませんが、ごめんなさい。』
子供の頃に読んでしまった(!)偉人伝のせいで、僕も若い頃はなかなか伝記を手に取ることがなかった。しかし大人向けの評伝には面白いものがそうとう多い。年若い読者には、俳優でも音楽家でもいい、もし自分の関心のある過去の人物の評伝を見つけたら、ぜひ読んでみることをお薦めする。
さて。これはかのディヴァーナ=マリア・カラスの評伝。
胸つまる一冊である。前半部は夫・メネギーニに送られた数々の宝石のようなラヴ・レターに彩られ、かつて喧伝された「牝虎」のイメージに反し、純真でいじらしく可憐な少女・カラスの姿を浮き彫りにする。この部分を読んで、カラスというひとりの女性を愛おしく思わない男はまずいないだろう。女性の方も、一読の価値あり、だ。
著者は、生前の、気まぐれで横暴、戦闘的で権力欲が強く、奢侈で傲慢、というカラス像を覆し、そうとられる行動の原因となったものとして、彼女の無垢、不器用さ、傷つき易さ、公正を求める心、そして――これはあらゆる芸術家の根幹なのだと僕は思うけど――ただ人から愛されることのみを願っていた彼女の心を描き出すことを主眼としている。
そして本書の執筆の契機となったと著者がする、ファンから送られた非難と侮蔑の膨大な手紙――カラスは称賛の手紙は殆んど残さなかった一方で、これらの手紙だけはきちんと保存していた。それはなぜか? というのが本書の冒頭だ――が羅列的に紹介される後半のくだりは、前半以上に印象深い。
そこでひとつ気づいたのは、これらの胸の悪くなるファン・レターの書き手たちの実に多くが、自分は公正・客観的であるだとか、自分は単なる悪口を書くのではないし見識のある者なので他のファン・レターと一緒にするな、とか、果てはこれは忠告、助言でありファンなればこそ書くのだ、といったような但し書きをしていることだ。本人たちには自覚はないだろうが、これは結果的にきわめて悪質な行為だ。卑劣な行為とさえいっていい。大スターとはいえあなたや僕と同じただのひとりの人間であるカラス――いや、それ以上に、だろう。優れた芸術家は繊細な心を持っているという考えを、神話としてただ鼻で笑うとすれば、あなたはあまりに世界を修辞的に捉えすぎている――の心はどれほど傷つけられたであろうか。想像するに、あまりある。もしこの世に――ないしはあの世に――正義というものがあるのなら、実際には、これらの手紙の書き手たちは、たとえ短慮からであるにせよこの手紙を書いたという一点において地獄へ落とされたとしてもそう強くは抗弁できないくらいのものだと僕は思う。
もちろん逆に彼らの心を先にカラスが傷つけたのだ、ということもできる。しかしカラスの歌によって傷つけられたという人からカラスが報復されるのは正当なことだろうか? また歌以外のことで傷ついたのだとすればそれは彼女の芸術の問題ではない。人としての問題だ。それを彼女がもっとも大事にしている歌への批判に振り向けるということの奥底には、それが彼女がもっとも傷つくことであるからという、傷つけてやりたいという意図に基づく無意識の狡猾な判断がある。
少なくともカラスは聴衆を傷つけようと歌ったわけではないだろうし、まして特定の聴衆を傷つけようと歌ったわけもない。そんな彼女に名指しで報復をすることは、どう控え目にみても大人げない行為だし、その自分の不満・鬱憤を晴らす仕返し――なんと理屈をつけようとも、一芸術家に対し頼まれもしないのに批判をTわざわざU送りつける、という行為の根源はそれだ――に彼女の弱みにつけ込む形で正当性や効力を与えようとすることは、卑劣以外の何ものでもない。
とても不愉快ではあるが、これらの手紙も一読の価値あり、だ。
全体として、たしかに著者は恣意的にカラスのある一面、愛すべき存在としての彼女にのみ光を当てすぎているかもしれない。しかしそれは、これまでそれとは全く逆の面ばかりを強調されてきたカラス像への修正を加えるものだ。本書を読むと、カラスが数多くのオペラの悲劇のヒロインたちの名アリアをあのように歌うことができたという事実、彼女のあの、人の心を揺さぶらずにはおかない演唱への『裏書き』を得たような思いがする。カラスはあれらをテクニックのみで歌ったわけではない。ヒロインたちの悲しみには常に彼女の心の声が満ちていた。彼女の、それはいわばT叶えられない祈りUだったのだ。
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Last update Oct.17.2009