- ぼくにとっての平中作品ってのは、ちょうどリアルタイムでいっしょに成長できるのが楽しみです。例えば次の作品で高校生が主人公だとしても、それは、彼自身思い出の中でかかれるものなんだろうから、僕らのような30代のものでも、共感できたりするわけで、ティーンズ小説って言う表現で、ややもするといわれるのはちょっと?てなかんじです。作品の中では『渚――』とか『ピクニック』みたいな短編でも風景描写と心理描写がしっかりかかれていてそこに、なにか、ほっこりするものがあるものが好みですね。たぶん長編でもそれは書かれているんだけれども、ながいぶん忘れてしまうのか、『Go! Go!』なんかでは、この章が好きだなあとかそんなノリになってしまいました。震災が起きてしまって昔の神戸の思い出にひたりたいときは、読みたくなるのが平中作品だと思ってます。是非これからも自分だけの思い出にひたっていないで、それを解放してやって下さいね。
Mr.dolce-vita(Favorite doll: 彼女from『8年ぶりのピクニック』〜『それでも君を好きになる』収録)
- はじめまして。平中君と同い年の一ファンです。大学の一回生のとき“She's Rain”を読み「わかる、わかる」と共感してから、本屋での追っかけをしています。今までこのホームページはいつものぞくだけだったのですが、今日はドキドキしながらの初メールです。
悠一's文学を読むと、一つ一つの言葉がこだわりをもって選ばれているという感じがするから大好きです。その一つ一つの言葉で美しい世界ができるから、毎回ドキドキしながら読んでいます。官能的な表現が結構多いのも、魅力です。
「鶴の恩返し」で鶴が1枚1枚自分の羽根を抜いて美しい反物を作ったみたいに、私は、平中作品は、悠一's美学でO.K.になった言葉たちが綴られているように思うんです。だから、ファンの人たちも「美」に関心が高かったり、今までのその人の美的な体験(それは、どうも恋愛)について語ったりすることが多いんじゃないかなって思います。人によって美しいと思うものは微妙に違うけれど、だからこそメッセージボードを見るのは楽しいね。また、ちょこちょこのぞきます。
札幌は、今が紅葉の一番綺麗なとき。紅葉の美しさに見とれながら、『アーリィ・オータム』のことを思ったり、平中君が北海道を舞台に小説を書いてくれたらいいなあなんて勝手なことを考えたりしています。それでは、また。お元気で。
ひろりん -- "Mrs.Hiroko W."(Favorite doll: 彼女 from『8年ぶりのピクニック』〜『それでも君を好きになる』収録)
『セクシャルな描出に関しては、僕は基本的にボーイズ狙いで書いてるから、女性のなかにも娯しんで読んでくれるひとがいるととても嬉しいです。ボーナスをもらったみたいで。
今月は他にも、既婚の方からのメールも多かったのですが、セクシャルな場面の面白さについて言及して下さってる方が多いですね。やはり、大人はサバけてる、ってことでしょうか?( ; 』
- こんにちは!めっきり秋めいてきましたね。やっぱりこのシーズンになると「Early Autumn」が読みたくなります。
「She's Rain」のex-storyにあたるこの作品、ユーイチ&レイコの出逢いから親密さが増していくまでの様子が、深まっていく秋の気配にシンクロしていて、とても好きな作品です。なかでも特に印象に残っているのが、ふたりでおしゃれしてコンサートに向かうシーンと、物語の最後の最後、レイコがヒツジの鳴き声をやってみせるところです。
わたしの感じたことが、平中さんの描きたかったことをきちんと汲んでいるのかどうか自信はないのですが、レイコがあの場面で何度も何度もヒツジの鳴き声を真似するシーンがなかったら、あの秋の夜は、ふたりにとってちょっぴり肌寒すぎたんじゃないか、あの描写がニット1枚分(!)くらいにふたりをあっためる役割をしてくれたんじゃないか――読み終えるたびに、いつもそう思っています。肌寒さから解放されたのに、思わずしてしまう身ぶるいみたいな、切ない気分と幸せな気分が入り混じったようなイメージというか何というか…。
つい先日、何度目かの再読をしたので、ちょっとでも感想めいたものをお伝えできたらと思い、mailしました。もう10月も終わりです。あの素敵な仲世さんとのコラボレーションによるクリスマス絵本を開く日も、きっとあっという間に来るんでしょうね。
by Miss Junko Konishi, our Club Member
- 文庫になって初めて『それでも君を好きになる』を読みました。(ごめんなさい・・・)
読み返すのではなく、平中クンの本を読むのは久しぶりだったので、ひたってしまいました。やっぱりいいですねえ。とっても、せつない気持ちになりました。特に、「4月の海辺へ、ペニィ・ローファー」の「彼女」のセリフ、「―せっかく男のコと付き合うんだもの。そのコと付き合うことで、ひとりよがりじゃなくなって、あたしの全てがOKになって。そうじゃなきゃ何で男のコなんかと付き合う必要があるっていうのよ?」っていうの、ほんとに共感しました。平中クン、なんでそんなに女の子の気持ちが分かるの?という感じです。
私の彼はそこのところイマイチ、分かってくれないので、今度試しに、一度平中クンの本でも読ませてみようかな?と思っています。ではまた。
Miss 木村彩子(Favorite doll:レイコ from『She's Rain』)
- 「それでも君を好きになる」
タイトルがもう切なくて泣きそうになる。
恋に落ちて、でもそれがうまくゆかない時、様々な理由をつけて相手を嫌いになろうとしたり諦めようとしたりするけど、「それでも君を好き」という気持ちは止めらんなくて、でもさあ…、ってなそういうじたばたした想いがきゅってなってるタイトル。
「簡単な事さ。女の子なんか好きにならなきゃいいんだ」
って台詞が痛い。なんで思考がシンプルな癖にツボをつく事言うかなー、平中作品の
男のコらは。いや、シンプルだからこそ、か???
平中さんの小説はどれもキレイな水を飲むような気持ちのいい文章。
熱狂的に「好きだー!」とゆうのでなく「いつもそばにいてね」な本。
お天気の公園で昼寝したい時、肩貸してくれる男友達みたい。
あ、でも「ギンガムチェック」は、お洒落する気力萎えまくりな時の特効薬(笑)。
Miss 織(Favorite doll:レイコ from『She's Rain』) http://plaza23.mbn.or.jp/~saorin
- こんにちは。風邪でダウンしていた時にもうこれ以上は眠れないくらいよく眠って、何か読みたいと思って今回読んだのは“8年ぶりのピクニック”でした。平中さんの作品はみんなとても好きなのですけれども、そのなかでもお気に入りがあって“8年ぶりの・・”はそのうちのひとつです。彼女が彼に今度会う時はこうありたいって想像してたのに・・。のくだり。ああそうよねそうよね!という感じ、です。思い出すのも辛かった失恋をしてしまって、そのあと当分いいわ、のつもりでいたのに、あいたーいと思う人がいつのまにかできたんです! 1年も会っていないし現実的に考えたら彼の大切な人にはなれないと思うけど、次、会った時にこんなにかあいいコだった?くらい(くらい、なんて軽く言えませんね)思わせたい! でも私、いじっぱりだから「好き」なんて態度、絶対ださないんでしょうけれど。。。
それから、優しくて、すりガラスみたいなイメージの彼女に憧れます。フロストって言った方があうかしら。これは私の意見なので、そんなつもりじゃないんだったらごめんなさい。読むといつも 気持ちよく(説明出来ませんが素的な気持ち)でもちょっとだけせつない(?さみしい)気持ちにもなります。
Miss atsuko ishii(Favorite doll: 彼女 from『8年ぶりのピクニック』〜『それでも君を好きになる』収録)
『とても嬉しい感想です! 実は、その気持ちを、ひと言で表せる言葉があります。『サウダージ』です。
ボサノヴァファンのみなさんは、ほんとうによくご存じの言葉でしょうが、ポルトガル語です。英語のソリチュードと見た目はたしょう似ているのですが、この言葉にはやや、英語でいうと「ミッシング」の色彩がはいっているようです。
つまり、たとえばお祭りを考えて下さい。
お祭りがあってすごく楽しかった。お祭りが終わって、すごく寂しい。
でも、だったら、最初から、お祭りなんかなかったほうがよかった!とは思わないでしょう? 寂しいけれど、お祭りがあって、それはそれで幸せだった...と思うでしょう? このアンビヴァレントな寂しさが、サウダージなのだ、と僕は理解しています。
サウダージ。――少なくとも、僕が小説で一貫してやろうとしていることは、ポジティヴ・ネガティヴという数直線上からはいくぶんはずれた、その種のシンプルな数直線上では捉えることのできない、そんなふしぎな感情をつかまえることなのかもしれない…近頃、とみにそう思います。
「底のほうがほんのり暖かい寂しさ」です。』
- こんにちは。随分久し振りでお便りいたします。今日は『8年ぶりのピクニック』の感想?を送らせて下さいな。実は最近発見したのですが(笑)この『8年ぶり〜』は私、かなり好きな作品なのです。といいますのも、この本を手に入れてからなぜか何度も何度も読み返してしまう作品の一つだからです。平中さんの作品はどの作品も何度も何度も読んでしまうのですが、この『8年ぶり〜』は特になんです。
それで、ずっと心の中につぶやいてしまう彼女の言葉があって、それは「だけどどうだっていいの。そんなこと、私の中にあるものはみんなガラクタみたいなものだしね」という言葉なのですが… その「ガラクタ」という言葉が随分私の心の中に引っかかり続けていたのです。「ガラクタってなんだろう?」ってずっと思い続けていたのです。そして、自分の中にある「キラキラ光る宝物のような物」を潔くガラクタと言ってしまえる彼女に、私自身との距離を感じると同時に羨ましさをも感じていたのです。「ああ、私もそんな風に自分の中にある自分だけの宝物を『ガラクタ』と言ってしまえたらどんなにかせいせいするだろうに…」と。
私には子供が二人いるので、つい子供を通して物事を考えたり、見てしまうのですが、子供って本当に毎日『ガラクタ』ばっかり拾ってくるのですよ。何かのビンのふたやら、錆びた釘やら、石ころやら…でも子供ってそういうものを、当たり前ですが『ガラクタ』だなんてこれっぽっちも思っていないんです。それはまさしく『宝物』以外の何ものでもないのですね。そんな宝物を大切にしている姿は、大人の私なんかから見るとかわいらしく思えたり、時としてはおかしくさえ思えたり…でも、本当に大切にしまいこんでいたりすると、その子供の心を思うと、こうなんて言うのでしょう?「胸を打たれる」のです。ああ、私もこんな風にばかばかしいガラクタを大切な宝物のように思っていた頃があった…でも、そのガラクタはガラクタだったかもしれないけれど、けして今となってもガラクタなんかじゃない…と。そう思うのです。『8年ぶりのピクニック』の彼女は自分の中の自分だけを楽しませてくれるガラクタを確かに「ガラクタ」と言ったけれど、でも本当のところでそれはけして「ガラクタ」なんかじゃないと思っていたのではないかしら?と、最近になってふとそう思うのです。
子供から少し大きくなると「なんだよ〜こんな物、ただのガラクタじゃないの?」なんて憎たらしい事を言うようになるのですが(上の息子が妹のガラクタをそう笑います)大人になると自分の中でピッカピカに光っていた物が他人から見たらただのガラクタだと気付くのですね。そして、「な〜んだ、ガラクタだった。何を私むきになってたのかしら?」なんて思って、へへへ…なんて笑ってしまうのです。あるいはもっと、誰から見てもダイヤモンドの様な本物の宝物を手に入れたいと躍起になってしまうのでしょうが、私はずっとこの『8年ぶりのピクニック』が心に引っかかっていて、誰から見てもダイヤモンドというすごい宝物をもつ人も確かにいるかもしれないけれど、そんなことは本当のところ大事な事ではないのではないかしら?とそう思い始めています。
確かに彼女が言ったように「私の中にあるものは私以外の人からはガラクタのような物」なんだと思うのです。でも、それは私にとっては外から光を当てなくても光る物なんでしょう? それが大事な事で、それがすべてじゃないのかしら?とも思うのです。きっとそれはその人がその人であることの証のような物で、プライド?といってもいいものなのかもしれないな?なんて、そんな風に思ってしまうのは大げさでしょうか? そう思うと「一人の女の子ときちんと付き合うということは、彼女がポケットに後生大事にしまっている、きれいなガラクタのひとつひとつと付き合うことだ。」という僕の考えは、深いなぁ(笑)と思うのです。
私は大人になりたいとずっと思っているけれど(この歳になってさえそう思い続けているのは、情けなくもありますが)ガラクタはガラクタと分かっても、自分にとってだけはそのガラクタをガラクタと笑わずにいられる大人になる事が目標!!です。それは『8年ぶり〜』を読んだからこそ生まれた思いです。それを平中さんにお伝えしたくて…
「誰に笑われても構わない。僕はあのフロッピーを取り戻す」と『ブルー』の中でカトウツトム氏が思い返したように。(私あの一文が大好きです!あの一文からぐっと小説が力を持って、スピード感が増して…)
ああ、ごめんなさい。長々とまとまりなく書いてしまいました。もう今日が始まります。どうかこれからも、こんな素敵な小説を書き続けてくださいね。それでは、今日はこの辺で。 *2001 7.7*
by Mrs.山本まゆ子, our Club Member(Favorite doll:みづき from『僕とみづきとせつない宇宙』)
- 文庫本の「それでも君を好きになる」、読みましたよ! いやー、せつないですね。もちろんハードカバーでも読んでいましたけど、改めて読むと、いや、とかく、せつないです。一番せつなかったのは、やっぱり「8年ぶりのピクニック」。ちょうど僕も彼等とおない年くらいでして、高校卒業して、7年になるんです。なんか、わかるんですよね、すっかり変わってしまったすべてのもの…。今なら言える、でも言えない「ことば」とか。数多い(少ない?)平中作品の中で1、2を争うほど寂しいこの作品に力が抜けてしまう、今日このごろです。
ところで好きな女性キャラってのはありますけど、好きな男性キャラってのはないんですか? 世の女性読者は誰がタイプなのか、ちょっと気になるところでもあります。ちなみに僕は「GO GO」のミチローくんですね。たぶん同性人気は1番だと…(笑)。(もちろん「僕」をのぞいて)
Mr. ワキタサトシ(Favorite doll: 彼女from『8年ぶりのピクニック』〜『それでも君を好きになる』収録)
『ゴー・ゴー・ガールズ』に関して(6件) update:09 10.17
- Webを見ていて少なからず、驚いたことがあります。男性のみならず、女性にも「Favorite doll」に「8年ぶりのピクニック」の「彼女」を挙げる方が結構いることです。私には割と苦手なタイプだったから。
だって、家がお金持ちで別嬪で、おまけに優等生とまではゆわないけど、コンサバティブでしょ、すごく。(なんか、私もすごくステレオタイプなこと、書いてるなぁ)おんなじ家がお金持ちで別嬪で、主人公の「僕」と小さい頃から家族ぐるみのつきあいをしてても、案外イケイケ(?!、ピクニックの彼女よりはって意味で)で元気のいいリンちゃんの方が、私は全然、好きです。
あと、経済的にという点においては多分全く働く必要などないと思われるのに、楽しそうに働いてるリカコちゃんとか、好きですね。(しかもパパのコネ使って入った一部上場企業みたいなとこじゃないとこが、またいいじゃない)
でも、一番好きなのは「かぼちゃ、come on!」の「彼女」です。
そうそう、私は口説かれるためにオンナやってるのよ。それなのにすっとばして、あんなことも、こんなこともしようなんて、ちゃんと口説いてちょうだい!って私も思ってます。(もうMissじゃないから「思ってました」って書かなければいけないかな)
ああ、でもこう書いてくると、私は自分に似てる子が好きなんだなぁってわかりました。みなさんもそうなのでしょうか。
平中くんは、コンサヴァティブな子も、そうじゃない子も好きみたいなので、ちょっと、安心しました。
(平中くんにとっては、どの子も、大切な愛してる人なのに、よくない風に聞こえてしまったら、ごめんなさい。別に「彼女」のこと嫌いじゃないですよ。やっかみ半分、ちょっと苦手なだけです)
Mrs. ちかえ--"Chikae A."(Favorite doll: 彼女from『かぼちゃ、come on!』〜『麗しのUS』収録)
『 >私は口説かれるためにオンナやってるのよ。
あっはっは。いい切りますか。気持ちいいですねー。
じゃあ、僕は、女のコ口説くために男をやってたりしててもいいわけだ( ;
>もうMissじゃないから「思ってました」って書かなければいけないかな
結婚というのは、独りだけの男性に、あなただけを、生涯をかけて「口説き続けて」もらうということではありませんか?( ;
ところで、いい機会なので書いておきますが、僕が「貧しさ」についてあまり描こうとしないのは、べつに僕が豊かに育ったからではありません。
アフリカを見なさい、とまではいいませんが、もっと近いところ、僕たちの上の世代、ことに戦前・戦後といった時代をパースペクティヴにおさめれば、僕らがこの持ち合わせの(相対的に)ささやかな「貧しさ」を描くことはとても難しい、下手をすれば微温的な愚痴になってしまうのでは??とも思います。
人は、誰しものその背負う背景を引き受けて、持ち場持ち場で、それぞれに十全に力を発揮していくことができるはずです。
僕たちの先達は、みんな、経済的に豊かになろうとこれまで努力をしてきました。その結果として、今僕たち日本人は経済的には相当豊かです。よかれと思ってがんばって、経済的に豊かになったら、人は「ばか」になった、というのでは目も当てられません。先達の努力はなんだったのでしょう?
経済的な「貧しさ」についておかげさまで先達ほど悩まなくてもいいのなら、その余裕を使ってその先へ!…これが文明の継承・進歩、というものです( ; 』
- 平中さんの作品に一貫したムード・雰囲気が存在するということは、おそらく読者の誰もが認めるところだと思います。
それが「具体的に何か」といわれたら、いろいろな言葉で言い換えることができるのでしょうが、いまのわたしの中には、そうした言葉のひとつとして「play」が浮かんでいます。
たとえば、『Early Autumn』で、レイコがユーイチの指をつまむシーン。予想もしない突然の「戯れ」は、ありふれたラヴ・シーンなんかよりよっぽど意味深でドキッとさせられます。
たとえば、『僕のヴァイオリン』での主人公と、彼が淡い想いを抱く女の子。彼はヴァイオリンを、彼女はピアノを「弾く」ことを通じて、もどかしくコミュニケートしていきます。
さまざまに形を変えて現れる「play」のモチーフは、平中さん流の「自分と、自分以外の人やモノとをつなぐための手段」という役割をもって描かれているように思えます。
平中さんの作中の人物たちひとりひとりは、自分たちの心の奥底に潜む‘寂しさ’や‘孤独’に、あまり直接的に向かい合うことはありません。くどくどと自分が寂しいだの、孤独だのと考えるタイプの登場人物は、ちょっと思いつくことができません(笑)。けれど、彼らのふとした仕草や行動の中にそれらがそっとインサートされている、と考えると、やっぱりある種の切なさを感じずにはいられないのです。
そして、英語の「play」における別の語義−−「光がきらめく;風がそよぐ;かすかにゆらめく」。
ソフトフォーカスのかかったやわらかなイメージは、わたしが平中さんの作品に抱くイメージにそのまま重なります。
この次、平中さんの作品を読むときには、今とは別の言葉があらわれるかもしれません。
そのときは、また、お知らせします。
by Miss Junko Konishi, our Club Member
『ゴー・ゴー・ガールズ』に関して(6件) update:09 10.17
『アイム・イン・ブルー』に関して(9件) update:09 10.17
最新作『僕とみづきとせつない宇宙』に関して(7件) update:09 10.17