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Yuichi HiRANAKA à Paris!




一昨年、一遍オルセー美術館に行ったんですけど、あそこの1階かな? 憶えてる人も多いと思うけど、真ん中が吹きぬけてフロア全体が大きな回廊のようになってるでしょう?あそこを確か南側(サンジェルマン側?)からセーヌ側に回っていって西側にある階段でその階から出ようとすると、その直前のセクションに職員の黒人のおばさんが立ちとおせんぼをしていました。「閉まってるの?」と訊くとそうだというから、「え、じゃあ下に降りるにはまたぐるっと回ってあっちまで行かなきゃだめなの?」と、なにしろ通してさえくれればもう階段は目の前なわけですから、笑いながら、でももちろんやや不満気に僕がいうと、そこでおばさんがひと言、「Voila」。この微妙な感じが上手く日本語にならないんですけど、単純に、そうだ、というよりも、you seeというか、判ってるじゃない、とか、ほらね、とか、そういうことよ、みたいな感じというか、なんというか、いってみれば責任の所在のないひとつの客観的事実を指し示し、共有する、という感じ、というかな。ちょっと、ほら、僕なんかよく柔道についていわれる、相手の力を利用して投げる、みたいなのがあるじゃないですか、ああいう感じのすることばだと思うんですよね、これ…。
    ついでですけど、パリの大きな美術館、何時までといっていても30分とか以上前からセクションごとにちょっとずつ閉鎖していきますから、最後の30分でゆっくり(例えば)モナリザをみよう!とか独自の計画を立てていると、モナリザの部屋はもう閉まったよ、などということにもなりかねませんのでご用心。とくにルーヴル美術館は、今シーズンは何曜日はいつも(例えば)17世紀フランス絵画のセクションは閉まっているねぇ、というようなこともありますから、どうしても見たい絵があるときはルーヴルに2日日程を割り振ってください。電話して訊いても電話を取った人が知らなかったら終わり、知らなくても、知らないとはいいませんよ、普通フランス人は(笑)まぁ、どっちみち2日じゃ見切れないですしね(笑)いつか閉まりぎわのルーヴル、ピラミッドの下の出口の広場に降りるエスカレータで僕の前に立っていた日本人の小さな女のコふたりがため息まじりに「…すごいとこやなぁ」「うん、絶対また来よな…」と囁きあっているのがきこえて、思わず心中「そやろ、すごいとこやろ」と非常に深く僕は頷いたのですが(関西弁でしたからとくにそうだったわけですが(笑)もう、そのくらい(どのくらい??)すごいというか、もう、あれはあれですね、だいたいみる人のことなんかは考えてない、とにかく圧倒的な物量で圧倒してやる、大フランスのものすごさを体で判らせてやる、どうだ参ったか!とか、そういうのが真の目的なんじゃないか、と思いますね、ルーヴルは、もう(笑)

Justement.

 僕としてはそれと同じようなことばだと思うのが、justement これも間投詞的に使えるのですが、さらにはっきり柔道の投げ技みたいというか、相手のことばを受けて「まさにそのことなんだけど」「まさにそうだからこそ」みたいな、日本語ではあまりないいい方だと思いますが、例えば、「あのレストランはどう?」「美味しいらしいよ、ひとり100ユーロくらいだって」「え、それは高いよ」「Justement. だから僕もまだ行ってないんだ」という感じで…どうでしょう?

     ほかには、例えばこれ僕がフランス語の学校に行ってた時に書いたスキット・新婚旅行篇ですけど(笑)
    「パリはなんて美しいんでしょう、ね?」
    「うん、でももう疲れたよ。エッフェル塔に登るのは止めにしよう、ほら、あんなに人が列んでる。」
    「ばかいわないで、エッフェル塔に登らなかったらパリに来た意味がなくなるわ! そこからの眺めがいちばんすばらしいんですってよ」
    「そんなの出鱈目だよ、大したことないって」
    「待って。あなた、見たの? いつ? だれとよ?」
    「え、わかんないなぁ、そんなのどうでもいいことじゃないか」
    「いえいえいえ、正反対よ、めちゃくちゃ大問題だわ」
    「ねえ、またはじめないでくれよ、それにそもそも、僕ら、もう結婚したじゃないか」
    「Ben, justemen; 離婚するのよ!」
     …これねー、フランス語だったらもうちょーっとだけ面白いんですけど(笑)
     フランスの国営TV、4チャンネルだったかな?でフィラー的にやっているカップルのショートコメディにはこういうのがありました。ベットの会話篇(笑)
    「ねぇ、私たちの赤ちゃんが欲しくない」
    「うん、まぁ、ねぇ…」
    「何よ、欲しくないの?」
    「欲しくないってことはないけどさ…」
    「ねえ、いい? 赤ちゃん作るんだったら、あなたの好きな体位でしてもいいわよ、どんな体位でも!」
    「え? ほんとに? じゃあさ…」
     男、嬉しそうに女に耳打ち。
    「…ちょっと待って、それじゃあ赤ちゃんできないわよ、普通」
    「Ben, justement」
     …うーん、如何でしょう。フランス国営放送(笑)
 こういう簡単でサンプルな1語のことばを間投詞風に、ぴったりの時に「投げ技」的に使えると、ほんとに楽しいなぁ、と思います。

De rien.

 簡単な当たり前のことばだけど、日本語にはぴったりおなじものがないことば、というのはもちろんわりとあって、それが当たり前のことばだけに、ふと、どうして日本語にはこれがないんだろう、と不思議に思ったりもします。
 フランス人に日本語でなんていうのとよく訊かれるんだけど、「ありがとう」といわれたときの返事、フランス語だったら「De rien.」これさえ憶えておけばpasse-partout、ほぼ万能。英語なら「Not at all」に当たるところでしょう。前置詞のdeがないから、ちょっとフランス語的なニュアンスはでないけど…。

    実はこれも、僕はちょっと「投げ技」的な表現だと思うんですよね(笑)相手がMerci= Thank you といってるところにde rien つまりちょうど for nothing、と続けているようにも聞こえるから、相手の会話をそのまま自分の発言に借用するかたちで、一文にすると Merci - de rien. Thank you - for nothing. と相手の謝意をうち消している、0にしているように思うわけです…。
日本語だと「どういたしまして」? これそういつもは聞かないしいわないですよね。フランス語のJe vous en prie. のほうがまだ耳にするかもしれない…。考えてみれば僕の場合、よく「いえいえ」などといってて、これ日本人にはほぼ万能なんですけど、イントネーションが結構決め手だと思うので、それでちょっと外国人には教えにくいような気がします。(いい案があったら教えて下さい)

C'est pas grave.

 フランス人が非常に連発する(笑)ことばのひとつに「C'est pas grave.」というのがありますが、これフランス語の最初歩で習うと思います。これだって意味は「大したことない、大丈夫、問題ない」くらいのことで、べつに難しくないんですけど、その使い方・使う位置がやっぱりちょっと微妙に違うなぁ、と思うんですね。例えばこれは飛行機のなかで、なんですけど、機内食、例によってたぶん鶏か豚か、とか訊かれたんだと思うんですが、鶏といったのに一口食べてみると豚ということに気づいて――いや、鶏と豚は逆だったかもしれませんけど…。

    という一文からは、僕はイスラム教徒ではない、ということがさり気なく読みとれます。まぁ、当たり前ですけど、念のため(笑)
 それで、まぁどっちでもいいかと思ったんだけど、いってみてもいいかとも思ったから、
「ねえ、僕これ豚っていったのに鶏なんだけど」と通りかかったエール・フランスのスチュワーデスにいってみました。すると彼女が、「C'est pas grave.」といって取りかえてくれたわけです。これ確かに、筋は通ってる。でも、日本人だったらここでこうはいわないと思うんですよね…。
 あるいは例えばこういうケース:
「ねえ、15時っていってたけど私泳ぎに行きたくなっちゃったの。20時にしない?」
「え、でも僕、晩は仕事しようと思ってたんだけど…」
「C'est pas grave. じゃあ明後日にしましょう」
 …ね? 微妙に変でしょう? 日本人の感覚からいくと。どうでしょう?


Chez Debussy.

 C'est pas grave. であとよく憶えているのは、ブローニュの森の傍にある(といっても広すぎますが、ボワ=ブローニュの森自体が(笑)ドビュッシーの家を見に行ってやろうと思って、去年だったかなぁ、16区まで出かけていった時のことです。
    16区、というのはパリ市内のいちばんの高級住宅地で、大きな立派アパルトマンが並び、道が広くてパリのくせにゴミも落ちてなく(笑)人っ気がぜんぜんない、というところで、正直いって僕には暗ーい雰囲気がしてどうも苦手なんですけど。パリジャンに住む場所としていちばん人気のある区は6区。リクサンブール公園もありますしね…。僕はそれほど好きじゃないですけど、リュクサンブール。うるさいですね、はい(笑)その北隣にある7区はプルーストの小説の舞台にもなっているとおり以前の貴族の屋敷町で、16区ほどではないけどやはり多少寂しく、僕は強盗に遭いかけましたが(笑・こちらを参照)あえて7区に住みたい、というと、まぁみごとなプチ・ブル趣味(死語?)なのか…というような気もします(笑)プルーストが住んでいたのはそのまた北隣の8区で、ここはシャンゼリゼもあるから観光的なカルチェもあるけど、場所によってはいまでも高級住宅地なのでしょう。16区がその後高級住宅地になって現在に至る、というのはこの7区、8区の西に隣接して、後にボワが控えている、という地の利を見ると自然なようにも思えます。パリは、有名ですが、内側から時計回りの渦巻き状に広がっていったので、そういう並びになるわけです。それでいうと逆に、1区や2区(パリで最も古く開けた場所、ということになりますね)に住所があるっていうと、それは映画スターかプランス(大公)かなんかなの、って思わよ、とある年配のマダムが仰ったことがありますが(笑)もうこのあたりは現実的な住宅地とはあまり考えられていないのでしょう。でもライフ・スタイルによってはすごく便利だと思うけど(笑)3区から北東に向けてはいろいろ若者向けの流行の遊び場のカルチェがあるそうです。夜遊びをしないので、このあたり僕は非常に不明です(笑)その方向(非常に大雑把ですが・笑)とあとやはりモンマルトル、パリの12時方向の18区にありますが、はいまでも、いってみれば「金はあるけどダサくない」というところにアイデンティティを持っている人たちに人気らしいです。ブルジョア・ボエーム(ボヘミアン)というそうです。新聞で読んだだけですが(笑)そういうわけで、16区というのはとにかくそういうところなんですよ。

 ドビュッシーの家というのは、行ってみるとスクワール、広場に面していて、その広場にいく道からもう完全に私有地になってるみたいだったんですね。でも守衛がいなかったので、まぁいいやと思って入っていったんですよ。それでドビュッシーの家はここだと思って、写真でも撮るか、とカメラを出したところで警備の黒服につかまりまして(笑)
「ムッシュー、ここは立入禁止だ」と来たわけです。じつはこのスクワールにはシンガポールの大使館もあって(なんかやたらいいところにあるんですね、シンガポール大使館。侮りがたし)シンガポール人の振りをする、っていう手も一瞬頭をよぎったんですけど(笑)素直に「ああ、そうなの? 知らなかった」というと(いや、あんまり素直ではありませんが(笑)ここで黒服が「C'est pas grave.」といったわけです。単純な失敗とみなされることはたいてい「知らなかった」というと、とりあえず「C'est pas grave.」といわれますね、ここでは。



追い出されたあと、入り口から悔し紛れに撮った一枚(笑)


C'est facile, hein?

 でも、考えてみれば、人が「C'est pas grave.」というときには、実はややgrave.重大なのではないか、と思われることがまず必ずあるわけですね。

 いま住んでる部屋を借りる時、大家の親戚のひとが見にきていろいろ説明してくれたのですが、例えば彼女が何度も「ね、簡単でしょ?」というんです。たとえばオートロックの使い方とか、洗濯機の使い方とか、それこそ、ブラインドの開閉とか。でも、もしほんとにそれが簡単だったら、説明をまずしないし、簡単でしょ、なんていわないと思うわけです。

     ここではほんとに、とくに古い建物なんかの場合、何をするにもコツがある、ひとが最初に家に泊まりに来ると、必ずお手洗いの水の流し方から、エレヴェーターの動かし方、さらにはドアの鍵の閉め方まで、一応僕は説明します。それでも鍵が使えなくて出かけられなかった、入れなかった、といわれることがあります。エレヴェータが動かなかったから階段で上った、とか(笑)
     コツというのは、ちょうど小説の文体とおなじで、いったんのみこんでしまえば非常に理に適っていてむしろ物事をさらにスムーズにする、だけど最初それを飲み込むまでは厄介、というもので、日本の場合、この最初厄介なコツみたいなものをどんどん排除する方向で物事が進んでいるように思います。それをある種の洗練と捉えて。確かにコツなんかを必要としないように全てを整えていけば、最初から、何も考えずに、抵抗なく物事をはじめることができます。しかしこれは、はじめての人には親切ですが、人はいつまでもはじめての人ではないわけです。はじめてではない人のほうが多い、というのが大量消費社会になる以前のむしろ普通の世界のあり方だったのではないでしょうか。それに、何も考えずに抵抗なくできる、ということは、そのこと自体をきちんと意識しない、ということにもなります。つまり、厄介なこともないけど、楽しいこともない、だって、そのことを意識しない、考えないわけですから、これは何も感じない、無感覚、ということに近いわけです。
     ここで僕は、日本の車のことを考えるんですよ。日本車というのは、どうも車の存在を人に意識させないよう意識させないように作られている、という独特の洗練の道を進んでいるようで、車がひとつの大きな機械であること、巨大な移動の力を人に与えるたいへんな道具である、ということを考えると、これはもう、瞠目に値すると思います。そしてこれは、現代の日本人の美意識に基づくもので、そういうものを美しい・すばらしいと日本人が感じるということによるものであって、本当にその徹底ぶりは世界にふたつとない、独特のものだと思うんですね。
     これは日本のクラシック音楽の多くの奏者についてもいえることだと思います。彼らが例えばヨーロッパで認められているのは、それが結果的に異形の音楽であって、そしてそれがやはり否定できない説得力を持っている、ということの証でしょう。ちょうど日本車の素晴らしさが認められているのとおなじように。
     どちらがいいとか悪いとか、正しいとか優れているとかいうことよりむしろ、要するに、問題は、ここで本当に問われるのは、

     Are you in or out?

     ということです。まずはそれに尽きると思う。
     日本の文学から文体というものが消去されて早幾とせ。それは洗練の一形態なのかもしれませんが、何もスラスラ読むために小説を読んでるわけじゃないでしょう。取扱説明書がスラスラ読めない、というのはちょっと困りますけど(笑)

C'est parfait.

 だから、簡単でしょ、というときは簡単じゃないなにごとかがややあり、C'est pas grave.というときは、実はややgraveななにごとかがあるわけで、極端にいえばgraveだからこそC'est pas grave. といっているのではないか、という気もややするわけです(笑)ことばというのは、そういうものなのかもしれません。

 それでいうと、前にフランス人の友達が、おしゃれなバーにつれていってあげる、というから従いていったんですけど(笑)行ってみると、今日は貸し切りだ、といわれて入れなかったんですね。するとそこで、僕の友達が
「C'est parfait.」といったんです。parfaitというのはパーフェクト、ってことですから、完璧、っていうことです。
 フランス人がこういう時にこういういい方をするってことを知っていますから黙っていましたが、内心、
「え、なんでC'est parfait.なの? 僕ら入れなかったんだよ、イザベル、判ってる? その一体どこがparfaitなの? ねぇ? ねぇ?」とか、子どものように訊きつのってみたかったですね、ほんとはちょっと(笑)

 またこれは、僕がメトロで財布をすられたときのことですが(笑・こちらを参照)カードも身分証も定期もなくなったわけで(あはははは…)当然その後あちこち回らなくてはならなかったのですが、これはたぶん警察だったかな? 
「それで、あなたパスポートは持ってるの?」と訊かれたので、ええ、パスポートは家に置いてますから、とこたえると、

"C'est deja bien."

 と彼女がいったわけです。
 いやぁ〜、それ、ほんとにdeja bienなのかなぁ…と笑ってしまったんですけど(笑)
  それはもう既にいいことよ、くらいの意味かな。

 ここで僕が思うことは、フランス人は皮肉屋で不平不満をいうのが大好き、というイメージがあって、まぁ、ほんとにそのまんまの人もいますけど(笑)そういう人はたぶんフランス人の間でも「あいつはちょっと、なぁ…」といわれてるだろう、と僕は思うんですね(笑)
 確かにやや物事を斜めに見たり、ひねったいい方をしたりする時、フランス人はすごく楽しそうなんですけど(笑)一方で何か問題が起こったときに、それは大丈夫よ、大したことない、と即座にポジティヴなことをいう、そういうものいいというか、価値観の行き渡りぶりはちょっとすごいなぁ、と時々思うんですね。もちろんただの習慣、挨拶、と捉えてもいいですけど、ことばには必ず意味がありますから、発されたことばは相手に影響するのはもちろん、自分のメンタリティ自体だってかたち作っていくはずですから。
 確かに、大丈夫、C'est pas grave. といわれたものが、結局結構graveだったりすることもあるわけですが(笑)そんなもの、だってあなたこないだ大丈夫っていったじゃない、とかいくらいわれても「あら、だってあの時はこうこうだったからそういったのよ」とかいえばいいだけの話であって(笑)それこそC'est pas grave.(笑)、肝心なのは、人が困ってる時にすかさずそういうことばで、そうやってちょっとだけ支えてやるということのほうなんだと思います。
 そういう小さなことばのかけあいが、しかもここまで抜きがたく行き渡っているということ、それ自体が、この個人主義のフランスの社会を大げさにいってちょっと支えているというか、小さなひとつのことばですが、この社会の成り立ちと、切り離せないかたちで存在しているように感じます。

 ウディ・アレンのMere anarchyのフランス語版がでて、これの仏訳タイトルが

 L'erreur est humaine

 というんですが、「過ちは人間的だ」これもフランス人の好きなことばではないでしょうか。

     ジャケットもフランス版のほうがどっちかというと僕は欲しいと思うんだけど、どうでしょう。
    どうも一概にアレン作品は、僕はフランス版のジャケットのほうが好きです。

     如何でしょう? (どちらも左がアメリカ盤、右がフランス盤)

 Ca arrive a tout le monde.

  「だれにでも起こることですよ」これも聞きますね…。非常に暖かいことばだと思います。本当に困っているときにこそ。

 開き直るようですけど、実際人間、というのは間違えたり、失敗したりするものです、機械じゃないんだから!(笑)もちろんだれも失敗するためになにかをするわけではありませんが、最初っから上手くやろうというのは虫のいい話で、何回か失敗しているうちにできるようになる、どんなことだってたいていはそれで普通でしょう。失敗なしで成功しようということ自体にどだい無理があるわけです(と完全に開き直ってますが(笑)
 絶対失敗しちゃいけない、失敗はできない、っていうんなら、もう恐くって、大したことは何もできないと思うんですね。何回か失敗するのは当たり前、それでできたら儲けもの。フランス人は基本的にどうもそう思っているようで、これは自然な、つまり非常に人間的な考えではないでしょうか。そしてフランス人がそう思うということは、一方で、それを受け入れる社会がある、ということです。
 よく日本人の若い女のコなんか(いや、もう若くなくても、か)フランス人はドンくさいとか、人に甘えてる、とかいいますけど――それに比べて日本人はなんてすばらしいんでしょう、みたいなことまで(笑)僕はそれ、ちょっとどうかなぁ、と思うんですよね。だって、ドンくさくても、人に甘えたりしながらでも生きていくことができるんだったら、その方がよっぽど余裕のある豊かな社会だと思うんですよね。ドンくさかったり、人に甘えることが許されない社会って、そんなの、ほんとに生きるのが辛い、貧しい社会じゃないでしょうか…。
   ここにも僕は所謂僕のいう『強者の論理』の存在を感じるのですが…(こちらを参照)

 これを書いているいまは9月のはじめで、8月のパリはヴァカンスだからもうみんないなくなっちゃうわけです(笑)そこで僕はわりと真面目に原稿を書いたり音楽を聴きながら過ごしたのですが、いま書いてるこの長篇なんて、読み返してみれば、失敗の塊のような気がします(笑)
 なにしろ新しい文体とかフォームを作ろうと思っているわけで、どうやれば上手くいくか、なんてこと僕自身さっぱり判っていない、そういうものを書いているわけですから…。

 もちろん見事に書かれた立派な文章、そこまでいかなくても例えば所謂beautiful writingみたいなものがどういうものである、というヴィジョンは僕にもあります。そういうものの素晴らしさとか魅力を否定するものではありませんが、とくに2000年以降、僕の関心はもうちょっと違うところに移っているというか、そういう従来のかたちでの文章の洗練、鍛錬というのは、この文章が斜め読みされる、読み飛ばされる、よくてもいち度しか読まれない、というインターネットの時代には、従来ほど有効ではないのではないか、という仮定が僕にはあって。
 だからシリアスな小説、そしてもちろんこういうインターネット上に載せるための文章という時にはとくに、僕は、いってみれば、なんだか出鱈目に書いている、あっちこっち話が飛び回って、ただの思いつきで書いてるんじゃないかというようなものでありながら、読み終わってみると不思議にひとつの像を結ぶようなもの、そういうものを目指しているわけです。もっというと、これ、こいつ一体どうやって書いたんだ、この文章??と不思議に思っていただけるようなもの(笑)僕がいま追求しているのは、そういう文章です。だからね、この文章もそういう流れのなかで意図的に書いているわけですよ。いや、ほんとに(笑)
  またいずれ、僕はかちっとした文章、というのに戻るでしょう。もともとそれが好きなわけですから…。フランス語の作文をいくつか読んで下さったフランス人の先生にまでいわれましたからね、「あなたはほんとにスタイルが好きねぇ」って。バレバレです(笑)

 そういうわけで、結果として、当面、僕の文章は、読んだ人からこういうふうにいわれるものかもしれません:

「最近の平中クンの文章ってさ、なんかゴチャゴチャしてて、やたら長いしさ、なに書いてるかよくわかんないんだけど」

 もしそうであれば、その時には、僕はこう答えたいと思うんです。フランス人のように、

 「C'est pas grave.」
 と( ;

  * à Paris. le2 septembre 2007*
le 2 septembre 2007 © yuichi hiranaka


特別寄稿「パリより:4月のシテ島。」も読む。

表紙画像ミラノの犬、バルセローナの猫
le chien à milan, le chat à barcelone

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