!今日の運試し!
>おみくじ引く<
"; }else{ echo "
Yuichi HiRANAKA à Paris!



"; }?>

パリより:「4月のシテ島。」



 こんにちは、平中悠一です。たいへんご無沙汰しておりますが、お元気でお過ごしでしょうか。
 パリに来て1年半が過ぎました。
 以前に書いたこのパリからのメールを読み返すと、僕のなかでやはりずいぶんパリの印象が変わっていることに気づきます。しかしその変化が自分のなかではリニアにつながっているので、どこから、いったいどう変わった、ということは難しいのです。
 その一方、1年半経っても、毎日毎日考えることも多く、面白いことも尽きないのには驚きます。しかしそれもまたリニアで、日々そのものが連続していて面白いために、そのなかの一部分を切り取ることが殆んどできず、このメールもなかなか書くことができませんでした。
 いまから書いてみることも、本当はその前後につながっている僕には面白かったエピソードをしかしできるだけ省略して、本当に本当に一部分だけを書こうと思います。でないと書けなくなるので…。

 先日少し日本に戻る用があったのですが、いま、実は僕は滞在許可証を持っていません。
というのは1月にメトロのなかで財布をすられたからで、もちろんこの時のこと、これに付随して起こったふしぎなことや面白いことも、ほんとは20ページは書くことができます。
 1月に失くした滞在許可証が4月も末のいままだ再発行されていない、というのはフランスにしてもやや遅いのですが(3月くらいまでなら当たり前ですけど(笑)
これは取りにいった新しい滞在許可証に不備があったからです:国籍が depatrie japonaiseとなっていました。
 patrieというのは祖国、deというのは英語のdeのようなものですから、これはまぁ「日本国籍喪失」というところでしょうか。さすがに驚いて「僕はまだ日本国籍を持ってるんだけど…」といったところ「嘘、ほんとに? 絶対? うーん、じゃあこれは間違いねぇ…」ということになり、結局滞在許可証はまた作り直しになりました。その後会うフランス人会うフランス人に「フランスって危ない、1月に財布を盗られたと思ったら、今度は国籍も失くすところだった」と訴えて回ったのですが(笑)すると彼らは・・・などと書いているとどんどん脱線していきますので、とにかくそういったことは省略します。
 担当の警察のmadameがたまたま機嫌が良さそうだったので(笑)「でも僕は来月ちょっと日本に帰らなきゃならないんだけど」といってみると「じゃあね、リターン・ヴィザを取った方がいいわよ、私はそれを薦める!」と彼女はいったのですが、そのまま忘れてしまいました。
 それを飛行機に乗る前日、アメリカ人の女のコと一緒にいてふと思い出し、訊いてみると私は取ったことがある、簡単にとれるわよ、というので、彼女とはまた後で会うことにして、急遽セーヌに浮かぶシテ島のプリフェクチュールにひとりでヴィザを取りに行くことにしました。
 なにごとも経験というか、何かしようとするたび、いつもいろいろ意外なことが起こり、もちろんたいへんなことも起こるのですが、面白いことも多いので、僕はパリではわりと何でもやってみよう、と思っているんですね。
 シテにいくと住所を信じて別の建物に入ろうとして、列に並び、警備の警官と話し、受付の女の子と話し・・・思い出すと、列に並んでいるときに起こったこと、警官のいい草、そして受付の女の子の対応と、みんなひとしきり書いてみたいことが実はあります。そういえば、間違えて入った建物の中では、印象的な若いフランス人の女のひとにも出会いました。――が、そういうエピソードも全部割愛、いまは書かないことにします…。

 そんなこんなで、とにかくいろいろ経緯もあり、なにしろ僕は気が急いていたのですが、やっと印紙を買って辿り着いたリターン・ヴィザ発行の部屋には、復活祭前ということもあったのでしょう、それなりに沢山の人がいて、思う以上に呼んでもらえません。1時間、2時間、3時間目に入った頃には、僕はもう、完全に不機嫌になっていました(笑)
 その四角い大きな部屋は、そのなかにまた四角く机で区切られた大きな“島”があり、そのなかには役人、その外は手続きを待つ人たち、ということになっていて、役人はフランス人らしく、日本人からみれば一体この人は何をしてるのか、しょっちゅうぼーっとしてるじゃないか、というような人も多いわけです。もちろん彼らにはそうするだけの「いい理由」が例によって必ずあるに違いないのですが…。
“島”の周りで待っている人はもちろんみんな外国人で、見ているとそれぞれに、なかなか面白いのです。もちろんもう少し短時間のことであれば、ですが。3時間ともなれば、いい加減しびれが切れてきます。

 その3時間目を回った頃、僕が“島”のなかのぼーっとしてる風情の役人を睨んだり、仕方なくまたあたりの外国人たちを眺めたり、はたまた時計に目をやったりしていると、隣りに中国人のムッシューがやってきました。頭の高いところで髪をふたつ結びにした小さな女の子を連れていて、その子がフランス人の小さな子どものフランス語でたえず独り言をいいながら遊んでいるので、おや、と僕は思いました。一緒にもっと大きな、中学生くらいの少年もいて、彼のほうは大人らしい様子で父親と僕には意味不明の中国語であれこれ話をしています。小さな女の子は、そんな父親と兄のことは気にならないように、お父さんの膝のあたりにずっとまとわりついて遊びながら、答えては貰えぬフランス語で、それでもたえず話し続けていました。
 やがてその中国人のムッシューが窓口に呼ばれました。
 もちろん僕は不愉快です。僕としては僕のほうが先から待っているというつもりだからです(笑)しかしここで怒っても始まりません。いい分をいうのはいいのですが、感情的になると必ずなった方が不利になる。それがフランス、という気もします(笑)
 平常心、半眼の心持ちで僕は窓口のムッシューと子どもたちの後ろ姿を眺めていました。
 ひとしきりやりとりが続いたあと、窓口の女のコが急に声を張り上げました。
「後に座って待ってください。私は“座って(アソワール)”といったのよ、“今晩(ス・ソワール)”じゃなくてね!」
 途端にだれもがうんざりしていた四角い部屋中から、どっと笑い声が湧き上がりました。
 あちこちから、とくに“島”のなかのフランス人の役人が、順番にいろんなことをいい出します。
「今晩こられても困るよね」「座ってと今晩じゃ大違いだろう」「いやいやけっこう似てるじゃないの」
 他愛もない聞き違えです。それをみんながとっかえひっかえああだこうだいうのです。
 最初の窓口の女のコはもう得意になって、
「じゃあね、ムッシュー、今晩ね! 今晩いらっしゃいね!」とまた大声でいって、手を振ります。
 もちろん彼女に悪気はないのです。この退屈な一日のなかで、自分のひと言が一服の笑いの清涼剤をみんなに振り撒いたので、その大成功に素直にいい気分になっているだけなわけです。
 いつまでも続く子供じみた大笑いと揶揄に、後の席に戻って小さくなっていた中国人のムッシューもさすがにひと言ふた言フランス語で言葉を発しました。しかしもちろん、彼には気の利いたことなどいえません。いわずもがなの言葉です。
 ふと見ると、小さな女の子は、そういう周囲の様子など気にもせず、相変わらず父親の足もとで、ひとり子どものフランス語を喋りながら遊んでいます。
 さっきまで一緒にいた少年の姿が見あたらないことに気づき見渡すと、彼はずっと向こうの離れた席にぽつんとひとりで座っていました。まるでこちらの喧噪とは関係ないというように。

 なんだか非常に空気が悪いなぁ、嫌だなぁ、と思っていると、僕の番になりました。
とにかくこの件を片づけようと、せめて嫌な顔はしないようにと思いながら窓口に行くと、僕を受け持ったアフリカ系の女のコは、なんだか実は、上機嫌だったようなのです。
 事務的な質問「名前は?」「国籍は?」「どこに旅行するの?」に続け、同じ調子で
「で、私は連れて行くの?」
 3時間待ったあげく、相当不機嫌になっていた上、まさかこの場でそれは予期していなかったので、一瞬我が耳を疑いましたが、どう考えても冗談です。しかし咄嗟に気持ちを切り替えるだけの余裕もなく、なんだかもごもごと要領を得ない返事しかできなかったのですが、そんなこと彼女は気にもしません。オフィシャルな質問・発言3回に1回程度のわりで、どこまでもこの冗談を続けていきます。
「それで、私は連れて行ってくれるの?」「どうなの? 連れていかないの?」
 いや、女のコをからかうのは得意でも、女のコにからかわれると途端に滅法弱い、というのは日本語でだってそうなので、「ほんとに?」とか「いや、そうできるもんならさ」とかなんとか、殆んどどうにもばかみたいな返事しかできなかったのですが、よほど機嫌がよかったのか、よほど僕が気に入ったのか、彼女はちょっとこれを見てと頼みに来た同僚にまで、
「ちょっと待って、私はいま彼のをやってるから。彼はね、私を日本に連れて行ってくれるのよ!」
「あら、そうなの? ほんとに?」
という調子で、僕としてはもう、ちょっと許してほしいというかその、ほんとに参ってしまいました。彼女はしかし
「じゃあ、これをあっちでコピーしてきてね、私を日本に連れていかないんなら!」と最後までそれで押し通します。
 しまいにはさすがに僕も諦めて
「じゃあ、この次は連れていくね」「あらほんと? 約束よ!」「うん、じゃあ、今度ね」ということで、ヴィザを受けとり出てきました。

 プリフェクチュールの出口は南にあったので、出るとすぐ目の前がセーヌです。シテの駅には戻らずにサン・ミッシェルまで歩くことにしました。「糸一枚脱ぐな」といわれるこの国の4月、セーヌを渡る名のみの春のまだ冷たい風を受けながら、僕はなんともいいようのない気分になりました。
 3時間待ったあげく、しかし最後は陽気な女のコにあたって、僕としてはまぁ面白かったといえばそうなわけです。
 もしこれがパリに来た直後ならほんとに困ったでしょう。
 それなりにパリに住んでいる面白さが前よりも判るようになってきた、だって1年目にはまずこんなことは起こりませんでしたから…そうも思うわけです。
 イン・グループに入った時の心地よさ、というのはどの文化にもあるものかもしれませんが、それが表現、とくに言葉を通じてその場で即座に強く形成される、というのはとりわけフランスの醍醐味かもしれません。
 いや、だんだん面白くなってきたなぁ、とも正直思いました。
 またあのアフリカ系のお姉ちゃんの冗談も、考えてみればいまの日本ではもう、若い女のコが知らない男をからかうなどということはないわけです。ある種のお店で対価でも支払わない限り。いってみれば、殆んど日本では時代劇のなかでしか見かけなくなった「あーら、お兄さん…」という類のそれは冗談なわけで、このあたり、パリのほうがある意味では遙かに日本より下町風のところが残っている、というようにも感じられますし、またそういうもののなくなったいまの日本、というのが実はおかしい、不自然なのかもしれない、という気もします。
 サン・ミッシェルの橋の上で、ノートルダムを背景に写真を撮ろうとしている賑やかな日本人観光客グループの間をすり抜けながら、それでもしかし、僕にはやはりどうしても、あの中国人の少年の姿が思い出されたのです。
 遠く離れた席でひとりきり、エヴィアンのボトルを頬に押し当てて、うつむいていた、彼の姿が。
 要するにそれは、彼もまた、僕自身だったからでしょう。
*29/04/07*


29 avril 2007 © yuichi hiranaka "; }else{ echo " 29 avril 2007 © yuichi hiranaka "; }?>

!今日の運試し!
>おみくじ引く<"; }else{ echo "
"; }?>


特別寄稿「パリより:ボンソワール、ムッシュー。」も読む。

[#戻る]

"; }else{ echo "[WorldClub Home]

表紙画像ミラノの犬、バルセローナの猫
le chien à milan, le chat à barcelone

¥1,800+Tax 作品社刊  最新刊! LATEST!
Amazon, ブックサービスで販売中。送料無料 shipping free
上手く読み込めない時は小ウインドウを閉じずに再度押してみて下さい。それでも駄目ならここをクリック

"; }?>

copyright 2006 "; }?> iHIRANAKA, yuichi hiranaka WorldClub. All rights reserved. , H: A: ...Haut de la page "; exit; }else{ echo "

"; }?>

...Haut de la page