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Yuichi HiRANAKA à Paris!



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パリより:「ボンソワール、ムッシュー。」



 こんにちは、平中悠一です。早かったのか、長かったのか、よく判りませんが、数えてみると、パリに来て9カ月が経ってしまいました。
 なにしろパリは全世界の文化的な首都なので(笑)フランス国内はもとより、世界中から上京(?)してきている人がたくさんいます。それで、パリに来ていちばん驚いたことは何?という話題に時々なりますが、日本人の中には「物乞いの多さ」と答える人が少なからずいるのではないでしょうか。
 いちばんかどうかはともかくも物乞いやホームレスがほんとうに多いのは確かだし、その様子がずいぶん日本と違っているのには僕もとても驚きます。

 こちらに来て、わりと最初の頃にラッシュが終わったあとの昼前の時間、メトロに乗っていると、ひとりの人の好さそうなおじいさんが乗りこんできました。
 このおじいさんがにこにこしながら独りごとというにはちょっと大きな声で話をはじめたので、まず僕は携帯をかけているのかと思い、次に少しぼけているのかと思い、それからようやく彼が車内のみんなに自分の身の上を語っていることに気づきました。つまり彼は物乞いをしていたわけです。
 パリのメトロに乗っていると、こういうタイプの物乞いに出会います。
 まるで趣味で物乞いをやっているよう、というか、うまくいえませんが、さっきまで普通の市民だったに違いない、という感じの人が、いきなり物乞いをはじめるのです。
 メトロの構内には許可を受けて演奏しているミュージシャンも多いですが、ゲリラ的に車内に乗りこんで何曲かやっていく人もいて、基本的にはあれと同じスタイルです。パリのメトロは多くは隣りの車両に移れませんから、駅で降りて隣りの車両に乗り換えては、一両ごとにおなじことをしていくわけです。
 寸劇を見せられたこともありました。あれ、このカップルはずいぶんはっきりした口調で痴話喧嘩をやってるな、と思っていると、それはお芝居でした。何駅かやったあとで、いついつにどこどこの劇場でお芝居をやるのでみにきてください、という宣伝がありました。そして最後に
「みなさんの顔に浮かんだ笑顔をみれば、僕たちはもう十分満足なのですが、みなさんのなかでもし小銭を下さる方がいたら、こんどのお芝居の費用の足しにします」と男の方がいい、みんな目的を持って移動中のはずのメトロの車内で、けっこうたくさんの人がわざわざ財布をとりだしお金を渡していました。

 僕も一度だけ小銭を出したことがあります。朝駅で、マイク1本で歌を歌っている女のコがいて、もうほんとうに参ったというか、仮にも音楽の判る人としては無視のしようがない、こんなところで歌わせていては申し訳ない、というようなものだったので…それでも数十サンチームですけど(笑)
 日本のストリートミュージシャンとのいちばんの違いは、端的にいって、日本の子たちは自分の音楽を聴かせよう!としているところ。パリの彼らは通りすがりの人をちょっとだけでも楽しい気持ちにして、それでお金を貰おう、と当たり前に考えています。これは本質的に異なる姿勢で、ちょっと聴けばすぐ判るし、いくら演奏が巧くても日本では僕はお金は出しません(笑)
 メトロで口上を述べる物乞いの人たちに、それとおなじだけの芸があるかは僕のフランス語の理解力ではよく判りませんが――まぁ、そういうのをちょっと聞いて端から端までキレイにわかるくらいであれば、今頃僕はとっくにフランスで小説家デビューしてるでしょうし(笑)
 それでもたとえば「私は公務員として公共のために何十年、骨身を惜しまず働いてきたところ、これこれこういう理不尽なことで馘になり、家族は病気で子どもは小さく…」みたいな話を、フランス語らしい一定したピッチの母音の響きのくり返しをわりと高いところに据えて、滔々と語る女のひとの口上なんかを聞いていると、ふと、実際には直接聞いたこともない昔のフランスの物売りのカンティナーレを勝手に連想したりもします。
 最後には必ず「みなさんのなかでもし…」というところにくるのですが、たいていぽつぽつとお金を出す人がいるのに気づきます。
 最初に書いたおじいさんも、最後にはニコニコと「ボンジュール、ボンジュール」と挨拶をしながら、がま口を開いてみんなの前を歩いていました。
 僕のすぐ近くに座っていた子ども連れのお母さんが財布を開いて小銭を渡したので、おじいさんは「ボンジュール、メルシー」とお母さんにいって、子どもにも「ボンジュール」と声をかけました。小さな子どもが恥ずかしいのか黙っていると、おじいさんは「あれ、君はボンジュールを知らないの?」と笑い、お母さんも「ボンジュールでしょ」と子どもにいいました。
 それで僕はまたずいぶん新鮮に思ったのです。
 日本だったら、まず子ども連れのお母さんが物乞いに財布を開かないような気もしますし、返事をさせるどころか、それこそあっちをみちゃ駄目よ、というかもしれないでしょう。
 日本では、どんな事情があったにせよ、物乞いをしなくてはならない境涯になった人は、ほんとうに肩身が狭く、小さくなって生きなくてはならないような気がします。どんな理由でそうなったにせよ、一段劣った人間、対等な人間とは決して見られないでしょう。
 物乞いの人が、メトロの車内で、見ず知らずの乗客に堂々と自分の境涯を語り「ボンジュール」「ボンジュール」と笑顔で挨拶を交わしながら小銭を集めるということは、到底日本ではありえないでしょう。
 ここにも個人主義の反映というか、どういう境涯の人であるにせよ、そういうことよりも彼自身がどういう人なのか、にっこり笑ってちゃんと挨拶をし、自信を持ってしっかりと対等に話ができる、そういうきちんとした人であるかないか、ということが、日本と比べるとずいぶん大きくその人がどう対応されるかということに影響してくるように思います。
 それと、フランス人は、人にものをねだるということを日本人のようには恥ずかしいと思わないようですね。
 神戸から来た女のコに、フランス人の男の子はどう?と訊くと「うーん、どこからが浮浪者か判らない…」といったので、僕は笑ったのですが、いってることは判る気がします。
 たとえば煙草を吸う人なら、道で煙草を吸っていると、必ず「1本くれ」と、まったくきれいな、どうみても立派な市民、といういでたちの男女から声をかけられます。僕の親しい韓国人の友達は、そういわれると必ず1本煙草を渡しています。黙って受けとっていく人も多いから、傍で僕が「コマプタラヌンソリドオンネ… ありがとうもなしかよ」と韓国語でぶつぶついうと、彼の答はいつもフランス語で「パリだからね」(笑)
 フランス語を勉強すると、入門の段階でpartagerという単語が必ずでてくると思います。分ける、分け合う、共有する、という意味ですが、韓国語でいうとナヌダ、これも韓国語の入門段階で必ず覚える単語です。日本人はたいてい、日本人は思いやり深い情に厚い民族だ、という自己規定をおそらくはしていると思いますが、日本語の入門段階に「分け合う」という動詞がはたして出てくるでしょうか。あまり出てこないような気もします…。
 僕はいい身なりの若者からメトロ駅で飲みかけのコーラをくれ、といわれて、暑かったから「やだ」といい、ケンカになりかけたこともあります(笑)
(ただ、これがケンカになりかけたのは、逆にそれがパリのメトロではなく、遊びに行ったマルセイユでのことだったから、という気もします。
ニースでは赤信号を渡ろうとして、車の運転席から「何だよ、それで普通なのかよ!」と怒鳴られました。パリだったら、逆に赤信号で渡っている歩行者の方が進んできた車に「私が渡ってるのに気は確かなの!」とか怒鳴りそうな気もしますから(笑)マルセイユやニースはやはりのどか、それでも田舎なのだなぁ、という気もしますね(笑))

 どうしてパリに、フランスにこんなにまで物乞いやホームレスが多いかというと、諸説あるわけですが、ひとつには社会保障が手厚いから、という人もいます。たとえばホームレスになっても社会保障のおかげで何とか命はつなげる場合が日本より多いだろう、というわけです。
 労働者の権利がしっかり守られている、ということで、これはすばらしいことですが、一方ではそのぶん雇用側が採用を避けるということになり、先だってのCPEのような極端な解決策も浮上してくるわけです。なかなかこれはイロニックというか、社会制度というのも当たり前かもしれませんが、難しいものだと思います。だいじなのは、常に微調整していける柔軟性なのでしょうが、柔軟性と制度、というのもなんだかちょっと反対語のような気もしますしね…。
 とにかく、教会の前やスーパーの出口などには、わりといつもおなじ人が立っていて、やはり「ボンジュール、ボンジュール」と挨拶をしながら、出入りする人に紙コップを差し出します。
 あと僕が知っているある郵便局の前にもいつもおなじ人が日がな立っていて、出入りする人のために「ボンジュール」といいながらドアを開いてくれます。郵便局員が出入りをすれば、もちろん懇意なかんじで、しっかりと挨拶しています。

「ボンジュール」というのは「こんにちは」ですから「ボンジュール」といわれれば必ず「ボンジュール」と答えるわけです。もちろんただの挨拶ですが、ふと考えると「いい日ですね!」という意味にもなりますから、彼らに「ボンジュール」といわれて「ボンジュール」と返事しながら、時々僕は不思議な気持ちになるのです…。

 いま僕はパリのほんとのcentre ville、真ん真ん中に住んでいますから、夜家に帰るときなど、グランマガザンの大きな軒下にはやはりたくさんのホームレスが床を広げています。
 こちらはさすがに、趣味なのかと思わせるようなタイプの物乞いの人たちにある気楽な(気さくな?)感じはなく、明らかにアルコール中毒などの問題を抱えている人も多いわけです。
 しかし地面に座りながら、家へと急ぐ僕に声をかけてくる人もいます。
 何かをくれ、というわけではなく、ただ挨拶をするのです。
 そんな困難な状況で、普通ならとうてい希望も持てず、何もかもどうでもよくなってもおかしくないだろうに…。そう僕は思うのです。
 夜、西側から僕が帰ると、いつも前を通る軒先にいる彼もそうで、人通りの途絶えたかえって静かな夜の街で、僕と目があうと、にっこり笑って
「ボンソワール、ムッシュー」と声をかけてきます。
 もちろんやはりただの挨拶なのでしょうが、それでもボンソワール、といえばこれは「よい夜ですね」ということでしょうから、彼に挨拶されるたび、春とはいえ寒暖の差の厳しいこの街で、住む家もなくおそらくは家族もなく、今夜も独り寝ようとする彼にとって、このいったいどこが「よい夜」なのかと、なんともいえない気持ちになりながら、ただ他にことばもなく、
「ボンソワール、ムッシュー」と僕も返事をするのです。
*19/05/06*


19 mai 2006 © yuichi hiranaka "; }else{ echo " 19 mai 2006 © yuichi hiranaka "; }?>

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特別寄稿「パリより:阪急文化圏の底力」も読む。

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表紙画像ミラノの犬、バルセローナの猫
le chien à milan, le chat à barcelone

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