はじめまして。平中さんのホームページの存在は以前から存じ上げておりましたが、メールを出せずにおりました。(お話ししたいことがたくさんありすぎて、いつも「私にしか出来ない順番でことばを並べる」ことができず、途方に暮れてしまって断念していたのもあります…。他のファンの皆様の文章も素敵過ぎるし…。)
 初めて平中さんの作品に出会ったのは、私が小学校6年生の時でした。兄の持っていた雑誌に新刊本の紹介として出ていた『She's Rain』を親に買って来てもらったのが最初です。(正直、表紙の絵がかわいらしくて、それまで私が抱いていた「大人が読むハードカバーの本」の概念を覆し、興味から選んだのですが)
正直、読んだ後も、その頃は???といった感じでした。その後2・3年経って、改めて読み返し、『She's Rain』の登場人物たちと年齢が近くなってきたせいか、ものすごくせつなくしみこんで、「今までこんな作品をないがしろにしててごめんなさい!!」と罪滅ぼしのように(?)平中さんの作品を探し回り、買い漁って現在に至ります。
 自分が大学生になり、遠出もするようになり、何度か神戸にも行きました。当時のBFのご実家が平中さんの母校の前の住宅地にあり、遊びに行く度いつも周辺を散歩(私がこれまで知る限り、大好きな「散歩」にもっとも適した場所のひとつです。)しながら、平中さんの文章に出てくる「気持ちがほっこりする」というのが理解・実感出来、よく一人、実際「ほっこりするなぁ」と口に出してみてはニヤニヤしていたものです。
それまで平中さんの作品を読みながら、街の人なのにどうしてこんなにも自然の――(ただ当然そこにある、登場人物たちの周りを取り巻く風景景色としての街や海や木立、街頭の並木すらも含めた自然)――のどかさ、すがすがしさ、静けさ、太陽の、空気の温度、肌に触れる風の、雨の感触、こんなにも繊細に思い浮かべさせることができる文章を描くことができるのかと不思議に思っていたのが、平中さんが過ごされた土地を訪れて少し分かったような気がします。
平中さんの作品――繊細な、景色と登場人物たちのこころの動きが織り成す物語り――を読んでいると、なんだか不思議といつも「絵本」を読むときの感覚を思い出します。
最小限のことば、最小限の情景画で1つの世界、物語りを伝える、「絵本」と言う作品群を私自身とても尊敬していますし、「百聞は一見に如かず」であるところの『画』の助けを借りずに、ことばで世界を表せるという点で平中さんの作品は「絵本」を越えたものでありますが。(たとえば、「麗しのUS」の「ミツバチの羽音一つしない午後…」のくだりなど、葉祥明氏あたりの淡い画が浮かんでくる感じです。)
 平中さんの作品世界には、「ノスタルジィ」や「せつなさ」といったことばでは片付けられない、ひとのこころの奥底にある、プリミティブな感情を刺激するものがある、というか、ひとの記憶の奥底にあるずっと忘れていた何かをふと呼び覚ます「鍵」の重要な要素が、含まれている、というか。 私の場合、その『刺激するもの』や『鍵』が、「季節」や「風景」と密接に結びついているのかもしれません。誰か他の「ひと」であったり、「ことば」であったりしないあたりが、「プリミティブ」に通じているのかもしれません。(たとえば、「GoGo Girls〜」の中で、依然肌を刺すけれど明らかに8月とは違ってしまった9月の日差しの中、居心地悪いおまけのような夏休みをオンナノコ達と遊んで過ごす彼らを見ていると、何故か、子供の頃感じた「心細さ」に似た感情が思い出されてきます。)
私が平中さんの作品に惹かれてしまう理由を何とか説明しようと思うと、こんな風にしか言えなくてもどかしいのですが。
 今回やっとメールを書き始めることが出来ましたが、ずっと平中さんに言いたかったこと、それは、平中さんご自身にお会いしたことはないですが平中さんの知らないところで、発表される作品を楽しみにしながら(「ちゃんと」とは言い切れないかもしれないけれど)一緒に歳を重ねてきたこと、それをお知らせしたかったのです。
かつて小学校6年生だったわたしも26歳という、あの頃想像もしなかった年齢になってしまったように、これからも、みんなと、逆らいようがない時間の流れの中を臆することなく歳を重ねていきます…。*2002.8.15*
Miss. S.Yoshida(Favorite doll: 彼女from『8年ぶりのピクニック』〜『それでも君を好きになる』収録)

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